吉澤 到
博報堂 ミライの事業室長
私が室長を務める博報堂の新規事業開発専門組織「ミライの事業室」は、“チーム企業型”の事業創造を方針に掲げています。デジタル化の進展で産業の垣根がなくなる中、業種や分野の垣根を越えてさまざまな企業や大学、行政、自治体と大きなチームを組み、新しい産業の創出に挑戦しています。
このセッションでは、「新しい社会基盤としての生活者インターフェース」と題して、生活者インターフェース市場の更なる可能性について考えていきたいと思います。
昨今、ESG経営やSDGsという言葉をよく聞くようになりました。企業が社会課題の解決に貢献することがますます重視される時代になっています。しかし、気候変動、人口減少、高齢化といった課題に一社で取り組むのには限界があります。デジタルテクノロジーの力を活用しながら、さまざまな業種の企業が連携し、新しい社会基盤としての生活者インターフェースをつくりだすことが今求められています。
例えば、フィンランドで生まれたMaaS(Mobility as a Service)はそのようなインターフェースの一つです。同国では、公共交通の利便性が低く、自家用車の利用率が高かったため、慢性的な交通渋滞や大気汚染を生み出していました。そこで、複数の交通機関がデータを共有し連携をとることで、ストレスがなく、環境負荷も低い交通の仕組みをつくり出したのです。
新しい社会基盤をつくるには、解決すべき課題を設定し、さまざまなプレーヤーが連携するエコシステムを構築し、そこから新たな価値を生み出していくことが必要です。このセッションでは、その具体的な取り組みをご紹介していきます。社会課題を解決し、生活者の幸せや新しい豊かさを生み出す社会基盤としての生活者インターフェース。その可能性をそこから探っていきたいと思います。
大家 雅広
博報堂 ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
現在、東京・渋谷では、「生活者共創まちづくり基盤事業」が進んでいます。これは2020年9月に博報堂と三井物産が共同で発表した「生活者ドリブン・スマートシティ(=生活者が主役のまちづくり)」という構想の第一弾となる取り組みです。テーマは3つ、すなわち、人が豊かに暮らせる「Livable City」、環境負荷をみんなで減らす「Sustainable City」、そして誰もが参加できる創造的な「Creative City」です。
よい街をつくるには、企業、行政、大学・研究機関、市民、つまり産官学民がビジョンを共有し、まちづくりに参加できる仕組みが必要です。渋谷では、博報堂と三井物産の2社が中心になって、渋谷区、行政の外郭団体、大企業、スタートアップ企業などとの連携を進めています。
この事業のコアとなるのが、デジタルアプリサービス「shibuya good pass」です。コンセプトは「みんなでつくるgoodな渋谷」。渋谷に住む人、通っている人たちが、自分たちの力で自分たちの街をよりよくしていくことをサポートするサービスです。さまざまな企業や団体と協業しながら、モビリティ、エネルギー、都市農園、オフィス、教育といった多彩な分野でソーシャルグッドを生み出していくことがこのサービスの目的で、2021年よりベータ版の展開をスタートさせる予定です。
この取り組みに先行して、今年度からいくつかの連携サービスや市民参加型活動の実証実験を行っていきます。まずは、博報堂が毎年行っている全国規模の定量調査を活用して、スマートシティに対する生活者ニーズを都市ごとに分析し、渋谷エリアに特徴的なニーズを把握します。また市民の声をまちづくりに反映させるためのWEBプラットフォームの実証実験を「shibuya good opinion」と題して実施。さらに、もう1つは市民や企業と連携したクラウドファンディングのプログラム「good idea fund」です。
生活者の視点に立った生活者ドリブン・スマートシティをまずは渋谷で実現し、その取り組みをほかのさまざまな地域に順次広げていきたい。そう考えています。
生澤 一哲 氏
三井物産 エネルギーソリューション本部 New Downstream事業部 新事業開発室長
私が所属するエネルギーソリューション本部は、低炭素・脱炭素社会の実現に向け、成長領域であるエネルギーマネジメント事業や次世代燃料事業を核としたエネルギーソリューション分野の取り組みを拡大・加速する目的で、本年4月1日に設立された新設の事業本部となります。その中でもサステナブルな街づくりを目指すスマートシティ事業は注力領域の一つとして挙げております。
渋谷スマートシティ事業は、博報堂と三井物産のそれぞれの強みを生かした取り組みです。三井物産には事業展開力、総合力、グローバルネットワークがあり、博報堂にはクリエイティビティ、サービス設計力、マーケティング力があります。これらの力を合わせることによって、あらゆる産業を横断した取り組みをプロデュースすることができる。そう私たちは考えています。
スマートシティは今や色んな所で耳にしますが、その定義はとても広いですし、人の捉え方もさまざまです。技術の発展によって解決できる課題は増えてきておりますが、重要なのは、プロダクトアウト型ではなく、そこに暮らす人たちが何を求めているのかを常に考えること、つまり生活者視点で街を設計することです。そのようなスマートシティは私たち2社だけで実現できるものではありません。理念を共有してくださる企業や市民の皆さんと手を取り合い、この発信力のある渋谷で課題解決と豊かな暮らしを両立できる街をともにつくっていきたいと思います。
堀内 悠
博報堂 テクノロジーR&Dセンター CMP推進局 部長
MaaSには、交通手段が統合されていない「Level0」から、データを活用した交通政策や都市経営が実現している「Level4」まで、5つの段階があるとされています。しかし日本にはLevel0を下回る状況にある地域も少なくありません。住民や職業ドライバーの高齢化、免許返納、交通事業者の撤退、交通空白地帯化といった課題が顕在化しています。
真の「日本版MaaS」を実現するには、交通や地域生活における付加価値を創出することに加え、Level0より下の根本的な課題である交通や地域生活の課題を解決することも必要です。そのための重要な取り組みが地域交通の再編です。そこに博報堂のクリエイティビティの力が発揮されると私たちは考えています。
そのような取り組みの一つが、富山県・朝日町における新公共交通サービス「ノッカルあさひまち」の実証実験です。朝日町は高齢化率が40%を超え、町が運営するコミュニティバス「あさひまちバス」の慢性的な財政問題、運行地区やダイヤのばらつきといった課題を抱えています。また、町内唯一のタクシー事業者である「黒東タクシー」の利用者は人口減少にともなって年々少なくなっており、ドライバーも高齢化しています。さらに、住民の中には高齢化によって免許返納をする人が増えています。
これらは朝日町だけでなく、日本全国どこにでもある課題です。例えば、路線バスの撤退を受けて、自らコミュニティバスを運営している自治体は、全国1740あまりある自治体の中でおよそ1350に上ります。そこに年間約700億円超の交付金が投入され、財政を圧迫しています。このような課題を解決する方法の一つが、住民、自治体、交通事業者が共同で運営する新しい公共交通サービスであると私たちは考えました。「ノッカルあさひまち」はその代表例となるサービスです。
「ノッカルあさひまち」は、国土交通省が制度化した「自家用有償旅客運送」を活用し、博報堂がサービス設計や予約・運行システムを提供する「マイカー送迎サービス」です。朝日町の住民や役場職員がマイカーを運転してユーザーを送迎するのがこのサービスのポイントです。住民が保有する車両を活用し、タクシー事業者のオペレーション機能とバス停留所を有効利用し、料金はタクシーとバスの中間の設定とする。タクシーやバス事業者とも協調する新しい公共交通が「ノッカルあさひまち」です。
私たちはこの取り組みを、交通の「町事(まちごと)化」と呼んでいます。地域の住民と民間交通業者、町全体の協力によって成り立つ、リアルユーザーや町に馴染む交通サービスだからです。さらに、商業施設、見守りサービス、ケーブルテレビ、地域決済サービスなどと連携が実現し、高齢者を始めとする人々の移動が活発になれば、町全体の活性化が期待できます。日本初となるこの仕組みが評価され、「ノッカルあさひまち」の取り組みは国交省「日本版MaaS推進・支援事業」にも採択されました。地域交通、高齢者の生活、観光・他拠点居住などのトランスフォーメーションを実現する「生活者発想型MaaS」の取り組み。それが「ノッカルあさひまち」なのです。
寺崎 壮 氏
富山県朝日町役場 企画振興課地域活性係長
朝日町には、地域内のつながり、いわゆる「共助」の文化が昔からあります。その文化をサービスの形にしたのが「ノッカルあさひまち」であると私たちは考えています。実証実験のスタート以降、既存の公共交通をカバーする交通サービスとして住民の皆さまから評価をいただいています。とくに、コミュニティバスが運行していない土日にも利用できる点、タクシーのように目的地に直接向かえる点が喜ばれています。
このサービスを社会実験にとどめず、実業につなげていくこと。さらに公共交通の充足を通じて、地域活性化、高齢化対策、安心安全なまちづくりを実現していくこと。それがこれからの私たちの目標です。
松本 友里
博報堂DYホールディングス マーケティング・テクノロジー・センター ソリューション開発2グループ ビジネスディベロップメントディレクター
社員の健康管理を重要な経営課題として捉え、その解決に戦略的に取り組む企業が増えています。そのような取り組みは「健康経営」と呼ばれています。私たちはこれまで、企業の健康経営に貢献する方法を模索してきました。その中でいくつかの課題が見えてきました。例えば、健康経営を推進しようとしても、どういった健康施策や健康行動が社員の健康増進に寄与しているかが不明瞭で、施策の評価・改善につなげるPDCAサイクルを回すことが難しい。あるいは、社内で健康施策を実施しても、意識が高い社員しか参加しない──。そんな課題です。
その課題を解決する方法として私たちが着目したのが、社員の参加モチベーションを創出する「クリエイティビティ」と、ヘルスデータと生活者データを統合的に活用する「データドリブンマーケティング」です。その視点にもとづいた健康経営支援ソリューションの開発を、東京大学、産業技術総合研究所ともにこれまで進めてきました。
私たちが目指したのは、企業が毎年実施している「健康診断」を軸として、社員の健康と企業の健康経営をつなぐプラットフォームを構築することです。企業の社員の多くは、健康診断を「義務」と捉えています。まずはその意識を変えることが必要であると私たちは考えました。それを実現するためのプログラムが、過去の自分の身体への挑戦をエンターテインメント化した「健診戦」です。
昨年度と今年度の定期健康診断の結果をデータで比較して健康改善率を可視化し、健康維持・改善に成功した社員を表彰する。それが「健診戦」のコンセプトです。博報堂DYホールディングス・博報堂・博報堂DYメディアパートナーズの社内でその実証実験を行ったところ、社員の約40%にあたる1710名がエントリーし、参加者の多くに健康に対する意識・行動の変化が見られました。健康改善率は55.5%にのぼり、とくに健康リスクの高い40代、50代男性の改善率が高いという結果になりました。
さらに、この実験で得られたヘルスデータと博報堂が保有する生活者データを統合・解析することで、健診の結果を健康経営につなげる道筋を探りました。解析の結果、社員の意識と行動のギャップが大きな課題であることがわかりました。意識だけでなく行動を変えることができれば、健康が増進し、仕事の生産性が上がり、企業全体の業績も向上します。
また、機械学習を使った解析によって、行動変容を促す「4つの健康行動ドライバー」も明らかになりました。
さらに、産業技術総合研究所と連携し、潜在的な意識や行動の異なる5つの健康クラスターを作成しました。「健康自信あり!健康優良社員」「お酒もタバコもいたしません。生活優先インドア社員」「人と話すことが生きる活力!バブリーマン社員」等です。
東大大学院医学系研究科の近藤尚己准教授(現・京都大学医学研究科教授)は、この実証実験の成果をまとめた論文で、「健診戦」のメリットとして、導入コストの低さやコミットメント効果、社員へのインセンティブによるモチベーション向上などを挙げています。
2021年以降、「健診戦」を健康経営支援プログラムとしてビジネスパッケージ化し、働く人とヘルスケア市場を健康診断によってつなぐエコシステムを構築していきたいと考えています。また、食品メーカーとのコラボレーションによるソリューション開発も進めていく予定です。
これからも、クリエイティビティとデータドリブンマーケティングの力で、企業の健康経営推進を支援していきます。
2000年三井物産株式会社入社。北米、欧州、アジア等の大型インフラ開発に従事。2019年4月よりNew Downstream事業部 新事業開発室 室長。スマートシティ等の新規事業を担当。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
2000年朝日町役場入庁。農林水産課/あさひ総合病院/財務課/総務課を経て、2018年に公共交通担当係長として現在の企画振興課に異動。現在は地域活性係長として、公共交通との連携による地域の活性化推進策に取り組んでいる。
1996年博報堂入社。クリエイティブディレクターとして国内外のさまざまな企業のブランディングやビジョン開発業務に従事。2019年4月より新規事業開発組織 ミライの事業室長。ロンドン・ビジネススクール経営学修士(MSc)。
2006年博報堂入社。企業ブランディングおよびイノベーション支援業務に従事したのち、2019年4月よりミライの事業室にて、スマートシティ領域事業リーダー。東京大学大学院工学医系研究科建築学専攻修了。
2006年博報堂入社。自動車/情報通信産業を中心に、マーケティング・ブランディング・ソリューション開発業務に従事。近年は、5GやMaaS領域におけるコンサルティング・サービス開発・事業開発を推進。
マーケティング・テクノロジー・センター ソリューション開発2グループ ビジネスディベロップメントディレクター
IT系企業を経て、2018年に中途入社。主に健康経営支援プログラム「健診戦」のプロジェクトマネジメント業務に従事しつつ、ヘルスケア・ビューティ領域のソリューション開発やデータマーケティング戦略立案に幅広く携わる。