大倉 誠一 博報堂 ミライの事業室 クリエイティブディレクター
三谷 健介 博報堂 ミライの事業室 ビジネスデザイナー
──プロジェクト発足以来、各方面から注目が集まっていますね。まずはTOOL PROJECTの構想が生まれた経緯からお聞かせいただけますか。
大倉
ミライの事業室は、新規事業の開発をミッションとする組織で、僕は「仕事と学び」をテーマにした事業の可能性を以前から模索していました。その取り組みを通じて三谷君と出会い、彼とともに今まさに、実証実験を行っているところです。
三谷
大人になってから、学生時代にもっと勉強しておけばよかったと思う方は多いと思いますが、学生のうちはなかなか学びの重要性に気づけない。学びの目的がないからです。だとしたら、仕事という目的と学びを一体化させることで、学習効率は大きく高まるのではないか。そのような考えから構想を広げていきました。
大倉
当初念頭にあったのは、企業を定年したシニア人材。シニアが新しいスキルを身に着けて、生き生きと働きつづけられる社会、そこにビジネスの芽がないかと探っていました。しかし構想を掘り下げていくほど、人間が新たなスキルを獲得して新たなステージで仕事を始めることは、そう簡単な話ではないという現実にも気付きました。
そんなとき、たまたま技術系のスタートアップを起業した知人から、ある話を聞いたんです。彼は自社のプロダクトサイトや製品のワイヤーフレームを、ノーコードツールを使って自分で作ったのだと。ウェブサイトのデザインはまったくの専門外で、知識があったわけでもないのに。それを聞いて、ハッとしましたね。新しいことを始めようという高いモチベーションや素養があって、そこに適切な「ツール」が加われば、まったく新しい能力を発揮することも可能になるんだと。その発見から「TOOL PROJECT」の発想が生まれました。
三谷
ノーコードツールを上手く活用できれば、個人の生産性や市場価値を飛躍的に高められるのではないか。そうした仮説のもとに、僕たちのプロジェクトの方向性が固まりました。
そして先月から、ノーコードツールを実際に使いこなすためにはどんなトレーニングが必要か、ツールを習得できるとどんなアウトプットが出せるようになるか、そういったことを実際のトレーニングプログラムを通じて検証する実証実験を開始したところです。
──「ノーコードツール」とはどのようなものなのですか?
三谷
コードがいらない、つまりプログラミングの知識がなくても、直感的な操作だけでアプリ開発やシステム開発などができるツールです。これまではプログラマーに頼んでいた工程も、ノーコードツールを使えば、自分だけで一気通貫で完成させてしまうこともできます。
大倉
ノーコードツールの大きなメリットの1つは、ローコスト・オペレーションの実現です。コーディングする人の人件費や工数を削減し、納期を短縮できます。それでいて、クオリティが下がることもない。DXを進めるためにノーコードツールを取り入れる企業も増えています。
もう1つの大きなメリットが、僕たちが着目した、ローコスト・ラーニングが可能になるという点です。プログラミングやウェブデザインのプロになるには、お金と時間がかかります。しかも学んだからといって、そのスキルで仕事をして生活していける保障はない。しかし目的を絞ってノーコードツールを使えば、学びにかかるお金と時間を大きく削減できて、専門性の高いスキルをすぐに身に着けることもできるのです。
──アマチュアが簡単にプロになれるということでしょうか。
大倉
まったくの素人がプロになれるということではありません。僕たちは常々「スキルのピボット」という言い方で説明しているのですが、もともと何らかの素養やコアスキルをもっている人が、そのコアスキルを軸足にして、別の領域にスキルを転換したり拡張したりしていくようなイメージです。
例えば、グラフィックデザイナーやDTPオペレーターなどの紙ベースのプロが「STUDIO」というウェブデザインのノーコードツールを使うと、かなりスムーズにウェブデザインができるようになります。
三谷
同じように、データ分析のノーコードツール「Exploratory」をシステムエンジニアやプロジェクトマネージャーといった数字に強い人たちがうまく活用できると、データサイエンティストの領域にピボットすることが可能になります。一般的にデータサイエンティストに必要と言われるスキルをすべて習得するには相当な費用と時間がかかりますが、実際に現場で必要なスキルは、そのうちのごく一部ということも多いんです。ならば、その部分に特化したツールの力を借りればいい。そうすれば即戦力のデータサイエンティストとして仕事ができる。そういう考え方です。
──第一弾の実証実験では、一般の方を対象に、ノーコードツールのトレーニングプログラムを実際に開催したとのこと。そこでも、今お話に出た「STUDIO」と「Exploratory」を選んだそうですね。
三谷
まずは私たち自身が自分ごととして捉えられる領域からプログラムを始めようと考えました。「Exploratory」を選んだのは、私がもともとデータ分析に関心があったから。また、私はもともとメーカーで開発をしていたため周囲にエンジニアが多く、彼らが今後職域を変えたり、拡張したりしていく方法を考えたいという思いもありました。
大倉
「STUDIO」を選んだのも同様で、私の本業での問題意識からです。私はクリエイティブディレクターで、UXの開発や、ウェブサイトづくりにも長く関わってきました。これまでのやり方では、サイト一つをつくるのに多くのコストと時間がかかっていましたが、「STUDIO」を使うことでサイト制作のハードルはぐっと下がります。
三谷
ちなみに、「STUDIO」も「Exploratory」も海外でローンチされているのですが、プロダクトオーナーはどちらも日本人なので、日本語でのサポートがしっかりしているんです。日本人のユーザーの活発なコミュニティもあります。
新しいスキルを身につけるときは、こうしたコミュニティは非常に重要です。情報交換もできるし、お互いに切磋琢磨していくこともできるからです。「TOOL PROJECT」のトレーニングプログラムでも、質の高いラーニングコミュニティをつくることを意識しました。
──トレーニングプログラムで実施した具体的な内容を教えてください。
三谷
約1ヵ月の超・短期集中型プログラムを設計しました。座学とワークショップの組み合わせで、常に手を動かしてもらいながら、実際に納品までできるスキルの獲得をゴールにしました。
大倉
例えば「STUDIO」の講座では、最終的にLPというウェブサイト1ページ分を制作してもらいました。それも、ただページをつくるだけでなく、それをお客さんに納品することがゴール。「お金をいただけるレベルまで到達する」ということにこだわりました。実際の教材も、今回の実証実験のパートナーとなってくださった企業の課題をもとに制作されています。全ては身につけたスキルに自信をもっていただくためです。
──プログラムにはどんな人たちが参加したのでしょうか。
大倉
企業の実務経験者、子育て中の女性、大企業を辞めてキャリアチェンジした人、フリーランサーなどさまざまでした。海外から受けてくださった方もいて。皆さん、スキルをアップデートしてピボットを目指すという意欲にあふれていました。
三谷
皆さん、日中は仕事があるにも関わらず、レッスンの受講に加え、かなりのボリュームの課題もこなしてくださいました。有志での自主勉強会にも多くの方が参加するなど、非常に熱の高いコミュニティになっていきました。
正直、始める前までは、ここまで盛り上がるとは思っていませんでした。バックグラウンドも働いてきた業界もみんな違うのですが、「新しいことを学びたい」という思いは共通。「人間交差点のようだね」と大倉さんと二人で話しましたよね。
大倉
僕たちの本来のテーマである「仕事と学び」を、皆さんにちゃんと説明したわけではないのですが、期せずしてそのテーマをみんなで共有できた感覚がありました。
──ゴールとなるアウトプットは、企業の「実案件」での納品なのですよね。そういうコンセプトにしたのはなぜですか?
大倉
プロになるには、学習の壁、費用の壁、就職の壁――たくさんの壁を越えていかねばなりません。でも、そこに時間をかけるより、早い段階でお客さんに向かい合って、実案件を通じて経験を積んでいった方が実戦的なスキルが身につくし、自信もつきます。「学び」と「実戦」はできるだけセットになっていた方がいいのです。学びの中に実戦が組み込まれていれば、そこでつくったアウトプットをポートフォリオにしてアピールすることもできます。
三谷
経験に勝る学びはないということですよね。「Exploratory」プログラムでも、パートナー企業からビジネス上の実データを提供していただき、それをもとに参加者がトレンド予測モデルをつくり、ダッシュボード化して納品するところまでをゴールとしました。
いわゆる学習教材のケーススタディは「学んだことを正しく使えば、ちゃんとつくれる」ようになっていますが、本当にリアルな企業のデータって、そんなに都合よくできていない。学んだ通りにはいかないんですよ。データ分析するための前処理に多くの時間がかかることも少なくない。お客さんに向き合って、お客さんの課題は何か、お客さんは何を求めているのかを把握し、それを形にすることで初めて価値が生まれるわけです。
大倉
自分の仕事が生む価値を社会に還元していく経験はできるだけ早い段階でした方がいい。それが成長につながりますから。
──TOOL PROJECTの今後の展開計画をお聞かせください。
大倉
さまざまな角度から事業化を探っていきますが、ひとつには、もう少し高度なアプリケーションやシステム開発、あるいはプロジェクトマネジメントをテーマにして同様のトレーニングプログラムを実施してみようと考えています。
三谷
今回は無償で参加できる実証実験でしたが、さらに拡大して、有償のプログラムにする形も考えています。また、プログラムで学んだ人たちが、いろいろな企業にソリューションを提供する機会も創出したいですね。
大倉
いろいろなノーコードツールベンダーの皆さんと連携していきたいと思っています。僕たちがまだ知らない優れたツールもたくさんあるはずで、このプロジェクトに興味をもたれたベンダーからお声がけいただいて、お会いする機会をいただければ嬉しいです。出会いがきっかけで、考えてもいなかった領域にプロジェクトが広がっていくかもしれません。
──最後に、TOOL PROJECTのビジョンをお聞かせください。
大倉
多くの企業がDXを掲げていますが、DXで最も重要なことの一つは「人が変わる」ことだと思っています。今回トレーニングプログラムをやってみて、そのことをますます強く感じました。参加者の皆さんは、自分の人生を変えたい、キャリアの展望を見出したいと考えてプログラムを受講してくださいました。
そしてツールは、人が変わろうとすることを支援してくれるものだと思います。ツールによって、スキルが民主化する。スキルが民主化するということは、人生が自由化するということでもあります。もっと楽に生きたり、好きな場所で好きな時に仕事したりーー。そんな世界を目指しながら、プロジェクトに取り組んでいきたいと考えています。
三谷
最近は副業を解禁している会社も増えるなど、複数の仕事を掛け持ちする人も出てきていますが、いざ他の仕事をしようとしても何をしていいかわからない人が多いのが実情ではないでしょうか。僕たちのプログラムが、新しい職域にチャレンジし、新しいキャリアを歩んで行こうとする際の選択肢の一つになってほしいなと思っています。多くの人に貢献できるプログラムや仕組みを開発していきたいです。
──ありがとうございました。これからの取り組みに期待しています。
慶應義塾大学環境情報学部卒業。2001年博報堂入社。クリエイティブディレクターとして数々のブランディングや統合コミュニケーションを手掛ける。NYフェスティバルズグランプリ(2003)、TCC新人賞(2005)、カンヌライオンズ4年連続受賞(2008-2011)など国内外で受賞多数。米サンフランシスコのUXストラテジー&デザインファーム Cooper社(現Designit)でUXデザイナーとして実務研修(2012-2014)を修了。テックスタートアップCueworksを起業し、自社製品の開発およびに経営に従事した後、2019年4月よりミライの事業室に参画。現在TOOL PROJECTのリーダーとして事業化に向けて準備中。
大手メーカーにて数多くのIoTソリューション開発に従事。先端テクノロジーの調査/選定、テクノロジーロードマップの策定、パートナーとのアライアンスなど全社IoT事業を推進。
2019年4月ミライの事業室に参画後は、事業起案制度の運営、スタートアップ/大企業との協業推進、開発プロセスの構築などを担当。2021年2月にTOOL PROJECTを立ち上げ、21年度中の事業化を目指して実証実験を実施中。
ミライの事業室
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