白根 由麻
博報堂キャリジョ研 研究員、TEKO
顧 文瑜
博報堂キャリジョ研 研究員、第二ブランドトランスフォーメーションマーケティング局
角田 奈菜
クリエイティブコンサルティング局
永野 祐子
生活者エクスペリエンスクリエイティブ局
──“ボードゲーム型”研修『キャリジョの人生はいつだって戦略と偶然』を開発することになったきっかけについてお聞かせください。
白根:キャリジョ研はこれまで「働く女性が生きやすい“ニュートラルな社会”をつくる」ことを目指して、働く女性に関する様々な調査・研究、それらを生かした講演やメディアでの情報発信、企業へのコミュニケーションコンサルティングを行ってきました。「キャリア教育」に対しても何かしらのアクションをしていきたいと考え始めたのは2018年頃。キャリジョ研が初めて出版した書籍『働く女の腹の底 多様化する生き方・考え方』(光文社新書)をきっかけに、大学の先生方から授業での講演などについてお問い合わせをいただき、大学や女子大生と協業する機会が増えたためです。
いま学校教育の中でも、「キャリアデザイン」という言葉が注目されています。ここでのキャリアは、「仕事」という意味ではなく、「働きながら生きていくこと全般」という広義のキャリアをさしています。女性も働くことが当たり前となった現在、自分のキャリアをもっと考えてデザインしなければいけない、という時代となっています。しかし、就職活動が大学2~3年生から始まるため、学生にとっては「どこに勤めるか」ということがキャリアの選択だと思ってしまいがちです。学生のうちからどこで働くか以外にも、どんなタイミングで転職などのキャリアチェンジをするのか、結婚出産をしたいのか、といったビジョンを少しでも持てていれば、うまくいかないことがあったとしてもそれを1つの経験として捉えて、次に向かうエネルギーにできるのではないかと考えています。
こういった現状をふまえて、学生のうちに、社会に出てから起こりうる大小様々なライフイベントを想定できる機会を作ることができたら良いのではないか、という声がキャリジョ研メンバーからあがりました。キャリア教育の現場では、素敵なキャリアを歩んでいる先輩の話を聞くパネルディスカッションのような座学が多いのが現状ですが、どこか他人事に思えてしまうという意見もありました。その頃、ちょうど世間でボードゲームが流行していたこともあり、座学という形ではなく、より気軽に楽しくキャリア教育ができるゲームの開発プロジェクトが始まりました。
──2018年から始まっているので、開発しローンチするまで3年くらいかかったことになりますね。
白根:そうなんです。開発にあたって、女性に関するロールプレイング系のボードゲームを試すなかで気づいたことは、ゴールまでのルートの数が少なく、ゴールは一つという違和感でした。職業について学ぶゲームもやってみましたが、勉強にはなるものの、ゲーム性が薄くなってしまっていた。ボードゲームに詳しい方にヒアリングした際に「ゲームの面白さは戦略と偶然なんですよ。」という一言をいただき、それは女性の人生とも似ているなと感じ、ゲームに出来そうだと確信しました。最初は手書きやパワーポイントで作ったとてもアナログなものから始まりました。
──本ボードゲーム研修パッケージが提供できる価値、大切にしていることはなんでしょうか?
顧:まだ「キャリア」というものに対してあまり実感を持っていない学生や新入社員に向けたキャリア教育に活用していくのはもちろんですが、「男女の相互理解」という文脈でも活かしていけるのではないかと考えています。男性が、女性の人生においてどのタイミングでどんな壁があるのかを実感するのは難しいと思います。本ゲームを通して、自分が主人公として人生を擬似体験していくなかで、少しでも女性の人生の多様性や困難な点などを知り、理解を深めるきっかけにしていただければと思っています。また、ゲームをプレイしていくなかで、会話を通して、一緒にプレイしている人の捉え方や考え方の違いも感じることができます。これは、価値観や人生観の違う個人の相互理解にもつながります。女性のキャリアの多様性、男女における人生の多様性、個人の多様性を実感を持って理解する、ということをこのボードゲーム型研修パッケージでは大事にしていきたいと思っています。
──『キャリジョの人生はいつだって戦略と偶然』という名称がとても個性的ですが、この名前に込めた思いをお聞かせください。
角田:今回コピーライティングを担当した角田です。このボードゲームを初めてプレイした時、ちゃんと人生のプランを立てたのですが、サイコロのせいで何も思うように進まなかったんです。結婚した相手や自分の収入でも人生が変わっていってしまう、この感覚をそのまま伝えたいなという思いがありました。キャリジョゲームやキャリアデザインゲームといった候補もありましたが、先ほど白根さんが話してくださった通り「戦略と偶然」はゲームだけでなく、女性のキャリア自体を表していると思い、それを一番素直な形で伝えられるネーミングにしました。皆さんも同意してくださり、すんなりと決まりました。デザインも素敵なので、キャリジョ研らしくて楽しそうなゲームだなと感じて興味を持っていただけたらいいなと思っています。
──ボードゲームのデザインについて工夫された点も教えてください。
永野:私はこのゲームをβ版の簡易デザインで体験したのですが、その時点ですごく面白いと感じました。デザインは女子会のようなテンションの高いトーンにしたいと思いました。カード一枚一枚を手にとっても楽しいように、絵柄にこだわっています。職業のカードは36種類、パートナーカードは18種類あるのですが、どの職業を選んでも楽しそうだと感じてもらえるよう心がけました。また、女性の意思の強さもあらわしたかったので、ビビッドな色味を使い、明るい雰囲気に仕上げました。強くしたたかに生きていくこれからの女性たちをイメージしています。
顧:先日外部の方にお見せした際、高級チョコレートのアソートセットのようだとおっしゃっていただきました。開けた時のワクワク感がすごくあると。
開発にあたり、いくつかのボードゲームをみてきましたが、カードに説明が多くなってしまいがちなんです。このボードゲームのデザインには、感性的・感覚的な部分が残されているのが特徴だと思っています。
──本ボードゲーム型研修は、具体的にどのように進めていくのでしょうか?
白根:ボードゲームは、働く女性の10年分の人生を体験するものとなっています。勝ち負けはなく、10年間を擬似体験しながら、みんなでお喋りを楽しんでもらう、「テーブルトーク型RPG」というジャンルです。
まず最初に、自分の人生設計を考えていただきます。キャリア、趣味、恋愛、結婚、子育てなどをどのように両立していきたいかを検討し、配布された「じぶん年表」というシートに書き込みます。ゲーム中は、このシートに進捗を書き込みながら進めていきます。次に、自分の職業を決め、サイコロを振って最初の年収が決まり、スタートしていきます。各年にお給料を受け取りますが、同時に必ず「ストレス」を1つ受け取ることになっています。そして、パートナーを見つけたり結婚するなど、プライベートにまつわる「パートナーイベント」もしくは、仕事にまつわる「ワークイベント」、ストレス発散や趣味などを充実させる「ライフイベント」のどれかを選び、サイコロを振ります。運が良くパートナーと出会うかもしれませんし、昇進したり年収がアップしたりするかもしれません。「ストレス」のカードは溜め込んでしまうと次の年がお休みになってしまう、というルールもあります。現実の生活でも起こりうることですよね。ライフイベントを上手く活用して、ストレス発散もしていかなければいけません。4年目、8年目になると、「ターニングポイント」がきて、少し大きめのライフイベントが起きるようになっています。宝くじがあたる、仕事が成功する、授かり婚をするなどのポジティブなことだけでなく、親の借金が発生したり、大失恋をしたり、後輩が上司になる、などネガティブなことも入っています。どれも女性の人生のなかで起こり得るライフイベントをできるだけリアルに想定して作成しています。
10年目まで進めていったら、最終的に、自分が最初に立てた目標と実際はどうなっているかを振り返る時間をとります。この振り返りが一番大切なパートです。自分が思い描いていたことが本当に上手くいったのか、最終的にどう感じているかなどを、自分で分析し、一緒にプレーしたメンバーと話し合います
──研修パッケージはいくつかのバリエーションを用意されているとのことですが、どのような形で提供されるのでしょうか?
白根:いくつかのプランを用意しています。1つは、先ほど説明した通りの流れで、ゲームをプレイしていただいてディスカッションをするという最もミニマムな形です。より充実させたパッケージでは、女性の働き方の変遷や昨今の働く女性クラスターといった、キャリジョ研がこれまで研究し保有している意識データなどを事前にインプットしたり、これまでの自分自身の人生などの振り返りの時間をもった上で、ゲームをプレイしていただきます。また、学校のキャリア教育としてだけでなく、企業研修としてもお使い頂けるよう、企業の持っている課題や伝えたいメッセージなどに合わせて、事前のインプット内容やゲームのシートそのものの構成を変えるなど完全にカスタマイズをすることも可能です。
顧:ゲームを行う際のメッセージ次第で、いかようにも活用していただけると思っています。
学生だけでなく、すでに社会人経験を積んだ方でも、これからのキャリアを考える機会にするのもいいですし、価値観が異なる女性社員を理解していくための管理職向けの研修といった形にも応用できますね。
──実際に学生のみなさんにこのボードゲーム型研修を体験してもらった際は、どのような感想がありましたか?
白根:女性のキャリアを擬似体験してもらうことを目的としているので、「仕事をし始めるとこのようなことが起こるんだという気付きが多かった!」という感想が頂けたのは嬉しかったですね。ゲームではありますが、進めていくなかで感情移入してプレイしている学生もいましたね。最後の最後でやっと結婚できて喜んで泣き出したりしていました(笑)。
顧:まだ社会に出たことのない学生の中では、働く女性の人生のなかで起きるイベントについて想定できることが少ないと思うんですよね。それをこのゲームをきっかけに拡張できたのではないかと思います。ゲームを進めていくなかで、周りが結婚しだすと自分もと焦ってしまったり、自分が意外と周りに流されるタイプだということに気付けるのも良いなと思いました。
──今後の展望について教えてください。
白根:いくつかの学校からゲームを教材として使いたいとおっしゃっていただいているのですが、現時点では研修パッケージとして提供させていただいています。今後、キットを量産する体制を作っていけたらいいなと考えています。
また、内容についても、時代に合わせてアップデートしていきたいと考えています。同性のパートナーも選べるようにしたり、新たな職業やライフイベントがあれば拡張パーツという形で選択肢を増やしていきたいと思っています。
──本ボードゲーム型研修パッケージをはじめ、これからキャリジョ研が実現していきたい社会について聞かせてください。
角田:私も大学生の時にこのようなゲームをやっておきたかったなと感じています。自由な生き方が認められる風潮になってきていますが、学生たちはどうしても就職活動の形にとらわれてしまうし、まだまだ自由に将来像を描くことが難しい。志は持っているけれど実現するための選択肢をどう掴んだら良いかわからないというような状況だと思います。
また、学生たちは完璧な社会人像を描きすぎてしまったり、社会での「失敗」が定義されすぎてしまっている気がしています。ゲームの中では休職など様々なイベントが起こります。このゲームを通して、就職活動がうまくいかなかったとしても失敗ではないということに気付いてもらうなど、学生たちの気持ちや社会自体も変わっていくといいなと思っています。
永野:私は社会人になって、結婚や仕事などについての一般的な価値観が女性にとって大きなプレッシャーになっていることに気づきました。そういった人生の固定観念に捉われすぎてしまうと、その道から外れてしまった時に心が折れてしまうということもあると思います。一方で、自分の人生に対してこうしたいという強いビジョンを描きすぎてしまう学生も、思い通りにいかなかった時に折れてしまうと思います。このボードゲームを通して、こういう人生もあるのかな、と少し肩の荷を降ろし、自分の人生に対して柔軟に考えられるようになってもらえたらいいなと思っています。
顧:このボードゲーム型研修のような柔らかいアウトプットを通して、楽しみながら、ライトに、異なる価値観をもった人々同士の橋渡しのようなことができることが理想的だと思っています。このボードゲームが、「こういう社会になったらいいな」と夢を語り合うための道具になれればいいなと思います。
白根:多様性の時代と言われている今、年齢性別だけでなく、それぞれの人生も多様でいいと思っています。このゲームのなかでパートナーに関するイベントを一回も選ばない人がいたっていいと思うんです。このボードゲーム型研修を通して、「私とあなたは違うんだ」と気付く。それぞれ異なる価値観を持っていることに気付くのがとても大切だと思っています。そして、男性にも女性の人生の多様さや障壁を知るきっかけにしていただき、人生観・価値観の違いに気付けたら、お互いに優しくなれる社会が作れるのではないかなと思っています。キャリジョ研では、「キャリジョという言葉がなくなる社会」をゴールに掲げています。キャリジョ研自体は企業のマーケティングをサポートするという業務がありますのでこの名称で存在していきますが、社会に対してのメッセージであったり、働きかけにおいては、「キャリジョ(働く女性)」だけにフォーカスを当てるだけではなく、女性が多様な生き方を選べるよう、人々の価値観の柔軟性を高めることであったり、お互いを認め合える優しい社会をつくるために活動していきたいと思っています。