(※1)兵庫県立芸術文化観光専門職大学
専門職大学とは、専門性が求められる職業を担うために必要な実践的かつ応用的な能力を育成することを目的に、2017年5月学校教育法の改正によって設けられた新たな制度。
鷲尾:
大学構想の背景からお伺いできますか。
平田:
いろんなポイントがあると思います。まず、豊岡市の人口は約8万人、但馬地域全体だと16万人。広さは、東京都23区とほぼ同じ広さなのですが、この地域にはずっと4年制大学がなかったんですね。
歴史的にみると、廃藩置県後に豊岡県が兵庫県に合併されていった経緯がありますが、現在、各都道府県に国立大学があることを考えると、もしも世が世なら、豊岡にも大学があってもおかしくなかったとも言える。
現在、少子化や人口減少はこの町でも進んでいます。地域の中に4年制大学がないということは、18歳になると多くの若者たちがこの地域から外へと出て行ってしまうことになるわけですね。専門学校を含めると高等教育機関への進学率は全国で7割以上ですが、豊岡市でも18歳人口の75%は一旦、外に出て行ってしまう状況にある。その意味でも、新しい大学の設置は、豊岡市、また但馬地域全体にとっても悲願だったわけです。
おそらく日本の地方都市において、地方創生の切り札となるような政策は大きく2つの方向性しかないのではないかと思うんですね。外国人を大量に入れるか、大学を誘致するか。
ジェンダーギャップの解消、雇用、住宅政策、子育て支援ももちろん大事ですし、他にも様々な政策があると思いますが、いずれも対処療法的な政策であり、ここまで疲弊してしまうと、それだけでは抜本的な解決法にはならないかもしれない。
もちろん、本質的には、ただ大学を設置するだけではなく、「選ばれる町になる」ことが大切です。大学ができることで、確かに一時的には若者人口は増えますが、その後、彼らが町に残り続けてくれるかどうは別の話です。それはあくまでも町の魅力そのものにかかっている。私たちは大学内での学びについては全力で臨みますが、「卒業後もこの町に残り続けなさい」などとはもちろん言えませんから。
鷲尾:
平田さんは、地方創生のためには「面白いまちをつくることが大切だ」とおっしゃってきました。
10代で街を出ていった若者たちが、なぜ戻ってこないのか。雇用がないからというけれど本当はそうではない。本当の理由は、街が面白くないから。だから選ばれないのだ、と。雇用はたしかに必要条件だが十分条件ではないのだ、と。(※2)
平田:
日本のUターン政策、IターンやJターン政策というのは、端的に言えば「高卒男子を囲い込む政策」であったわけです。公共事業をどんどんばら撒くことによって、ある種、強制的に地方を豊かにしていく。いわば「昭和の政策」ですよね。確かに出稼ぎ集団就職のような状況を無くしていったことは凄いことだと思うんです。しかし、その成功体験にすがり付いてしまい、時代の変化を見誤ってしまったのではないか。
人口減少という状況を生み出しているのは、実はもっと内面の問題なんです。特に子どもたちや女性がその町で暮らしたいと思うかどうかであり、雇用のせいにするのは男の目線だと思います。実際、人口減少傾向が進み、どこの地方でも人手が足りないくらいです。雇用がないからではなく、つまらないから故郷に戻ってこないのです。
18歳で地方から東京などの都市部に出た若者たちは、最低数年間、都市で経験した「楽しい生活」の記憶を持っているわけですよね。それなのに「帰ってこい、生まれ故郷なんだから」と言ってきたのがこれまでの政策だった。若者の内面性のことを、政策立案者はあまり考えてこなかったと思うんです。
そして決定的だったのは、特に90年代以降、女子の4年生大学への進学率が急速に上がったことです。こうしたことを全く考慮せずに、平成の30年間も同じような政策を続けてしまった。
若者たちには選ぶ権利があるし、町も若者たちや女性たちから選ばれないと生き残っていくことはできないわけです。
豊岡市はジェンダーギャップの解消を政策の優先事項として掲げてきました。他にも今そのことに気づいている自治体も少しずつ増えているように思います。
(※2)参照:『CITY BY ALL ~生きる場所をともにつくる』(⽣活総研「⽣活圏2050」プロジェクトレポート)。レポート(PDF版)は以下よりダウンロード可能。
https://seikatsusoken.jp/seikatsuken2050/16819/
鷲尾:
芸術文化観光専門職大学は、「芸術文化」と「観光」をともに学ぶことができる大学ですね。文化と経済の、いわばダブルメジャーです。そのカリキュラムの狙いはいつ頃から考えていらっしゃったのでしょうか。
平田:
2009年に、国土交通省成長戦略会議の「観光」分野の分科会の座長を務めることになったんですね。民主党政権時代です。座長とかになると、ものすごく大量のブリーフィングを様々な方々から受けるんですよね。なので、劇作家なのに、当時日本の観光政策についてものすごく勉強しました。例えば、星野リゾートの星野佳路CEOなど、観光業界の方からも多くを学びました。日本にとって、また地域にとって、今後「文化観光」が切り札になるということはその時から気づいていました。
鷲尾:
コロナの影響が出る前まで、インバウンド市場は伸びて、大きな経済的成果も生んできました。
平田:
あれは安倍政権の手柄のように言われているけれど、民主党政権時代から積み上げられてきたことなんです。もちろん、観光業界の努力もある。それに外的な要因としては、円安、東アジア圏の経済発展。所得が300~400万円を超えると、みんな海外旅行したくなる。韓国、中国、東南アジアの中間層からすれば、日本は近くで安全で、安いですからね。
鷲尾:
コロナ収束に関して未だ先は見えませんが、それでもコロナ後の社会を考えた場合、インバウンド政策も再考せざるを得ません。日本にとっての「文化観光」とはなにか? どんな質を持ったものなのかを再考する機会だと思います。
平田:
まだにそう思いますね。コロナ後は、もう一回日本に来てもらわなくてはならない。もう一回、日本を選んでもらわないといけない。その時に、富士山を何度も見たいという人はあまりいないですよね。そうすると、食、スポーツなども含めた、広い意味での「文化観光」が確実に必要になる。
特に日本が弱いのは、ナイトカルチャー、ナイトツーリズムといわれる夜の時間帯の文化観光です。宿泊や食事まで含めると、昼と夜では、使うお金の金額が全然違ってきます。どうすれば滞留時間、滞在時間、宿泊数を伸ばすことができるのか。それらを長くすれば、落とす金が倍々になって敷くことがわかっている。しかしその時には、夜の文化芸術的体験がどうしても必須になっていく。そういう経済的な波及効果をも含めて、一層「文化観光」という発想が非常に重要になってくると思います。
これまでも「文化観光」というジャンルはありました。そのための政策論も存在しています。しかし、この2つの分野を一緒に、しかも実践的に学べる大学はなかったんです。この点において、日本は韓国をはじめとするアジア諸国からも大きく遅れています。
鷲尾:
そもそも「文化観光」は、ただ量的拡大だけをKPIとして追求しても、オーバーツーリズムのような状況がうまれ、むしろ体験価値を低下させることも起こりうる。つまり、工業製品とは違うものです。むしろ、今後は、滞在の質、そして「時間」の持つ価値が大切になるように思います。
平田:
それともうひとつ大切なのは、「休日分散化」という発想ですね。日本の旅行産業はシーズンに特化してマーケティングを考えてきました。GW、お盆、正月に大量に人が移動する。逆に言えば、そこでしか人は移動しないわけです。サービスの質向上に努力しなくてもこの期間だけはどこも確実に満員になる。経営努力をしなくても人が来るのでビジネスになるわけです。しかしそれでは通年を通した雇用機会は生まれません。またそのため、良い人材を確保することもできなくなってしまう。
「文化観光」は季節性に左右されません。むしろ閑散期にアートフェスティバルの開催時期を当ててもいい。例えば、昨年の「豊岡演劇祭」では、9月の閑散期に実施しましたが、コロナで集客人数を半分に制限しても、5000人、5000泊になりました。これは、豊岡市の年間0.5%分を押し上げる結果です。9月だけに限ると10%。これは大きな波及効果を生みますね。通年集客にしていくことで、さらに経済的な効果も、また良い人材も確保することも可能になります。
鷲尾:
だからこそ、文化と経済を切り離さず、ともに学ぶことが非常に重要になってくるのですね。
平田:
芸術文化観光専門職大学では、極めて実践的な学びの環境が生かせることもアドバンテージです。学生たちは、校内の劇場兼講堂やスタジオ施設だけでなく、豊岡市内および近隣圏の劇場、文化センター、城崎温泉の旅館、また2020年から本格スタートした「豊岡演劇祭」などを実習の機会にすることができます。こうした実践的カリキュラムは、授業全体の1/3程度です。
鷲尾:
それまで豊岡市は着実に「文化・芸術を活かしたまちづくり」を進めてきたわけですが、その成果が新しい学びの環境として、その受け皿となるわけですね。暮らす、学ぶ、働く。それらが一体になっていくわけですね。
平田:
例えば、豊岡の城崎温泉にある旅館は、みんな社宅を持っているんです。働き手のために住む場所も提供してきました。芸術文化観光専門職大学の学生たちは1年生の時はみんな寮なのですが、2年以降は、例えば旅館の社宅に入って、朝の忙しい時だけ旅館で働いて、その代わりに生活費を受け取ることができる。そんな奨学金の制度を旅館側が考えてくれようとしています。海外の都市を見ても、これだけ小中学校の演劇教育、大学、演劇祭、地域社会が連携している事例は見たことがありません。ある意味、壮大な社会実験ではないかと思っていますね。
鷲尾:
今年入学した第1期生は、84人(男性15人、女性69人)ですね。女性が多いですね。
平田:
特徴的だったのはAO入試で応募がなかったのが4県だけだったこと。かなり全国まんべんなく受験希望者がいたことです。合格者も、北海道から沖縄までと幅広い地域からでした。推薦入試、AO入試、一般入試を合わせた平均志願倍率は、約7.8倍と非常に高い倍率となりました。
鷲尾:
どのような印象でしたか?
平田:
例えば、これはある北海道の地方の町の出身からの入学生の話です。オーストラリアに1年間留学していたとき、「どうしてオーストリアの地方の町はこんなに豊かなのだろう。商店街もちゃんと生き残っているし、一人一人が生活をとても楽しんでいる」と感じて、とてもショックを受けたと言うんですね。そして「どうして自分の故郷はそうではないのか」と。それで、この大学でアートと観光を学んで、自分の故郷のために働きたいと思って受験をしたのだと。
昔だったら「国際的に活躍したいです」と言う人が多かったと思いますが。今は全く中央志向はない。国際志向も昔とは違う。でも、決して内向きではないんです。受験生の多くがそういう18歳ばかりでした。
「どうしてうちの町ではこれができないのだろう。うちの町でもやれるんじゃないのか。」それが彼ら18歳の普通の感覚なんだと感じました。
ダメなのは大人たちなんだと思うんです。だって今だに東京、中央志向。地方に受け皿をつくってこなかったのですから。
鷲尾:
都市計画も、経済政策も、教育政策も、これまでは規格化し、使いやすくするという発想で進められてきたのではないでしょうか。それだと風景も画一化する。同じような風景なのだったら、密度の高い東京に行くのが一番面白い。
平田:
もうそのモデルではないなという若い人たちの気づきが生まれているということですね。
大学長としては、一人でも自分自身の仕事をつくっていける人に育ってもらいたいと思っています。そうすれば、暮らし、働くことを通して、地域との関係が自然に生まれていくし、結果として大学も地域と結びつきも深まっていくと思います。
鷲尾:
この新しい大学は、そんな若い世代を育み、全国に供給していくような場所になっていくのかもしれませんね。でもそれがより幅広い人と人との交流を生んで、結果的には豊岡市にとっても、地域社会の持続可能性を高めることになるのではないでしょうか。それは、彼らにとって、この町が「第二の故郷」になっていくということかもしれません。
平田:
中貝前市長も同じことを話していましたね。卒業後も残ってくれる人たちはある一定数はいるでしょう。ちなみに試算では卒業生が2割残ると、20年後の人口増に800人貢献すると言われていますので、いわば2~4割が残ってくれればいいわけです。あとの人たちは、この町の存在、この町での経験を、日本や世界に伝えてくれればいい。故郷に戻って行ったり、別の地方都市でもいいので、どこか自分が学んだことを実践できる地域を見つけてくれたらいいなと思います。働く場所が全国に拡散していく状況が生まれることが何よりとても重要だと思います。
鷲尾:
新しい挑戦ですね。楽しみにしています。
平田:
実はこの町の人たちは、町の中に大学があるという状況をよく知らないわけです。大学がなかったところに、大学ができるとどういうことが起こるでしょうね。今、豊岡市の出生数は年間600人を切っていて、18歳年齢での転出が7割以上ですから、移住者を含めても19歳人口は200人程度なんですね。そこに1年に80人の大学生はいきなり入ってくるわけです。
まずファミレスの風景が変わるでしょうね。今のウエイトレスさんは主婦パートさんがほとんどですが、そこに大学生アルバイトが多くなってくると。
おじさんたちのファッションセンスも変わるかもしれませんね。若い人たちに見られることになるわけですから。そんなことも含めて、壮大な社会実験だなあと思っています。
これまで日本のアートマネージメントは、海外のモデルの直輸入でした。ナント(フランス)や、ビルバオ(スペイン)など、いろんなモデルを学んできたけれども、豊岡は、少なくともアジアの中では「豊岡モデル」といって脚光をあびるような、アジアからも視察がくるような町を目指していきたいと思っています。
1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。2019年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。
(写真:Tsukasa Aoki)
「文化×経済」をテーマに、戦略コンサルティング、クリエイティブ・ディレクション、新規事業開発などで、地方自治体や産業界、大学等とのプロジェクトに数多く従事。主な著書・レポートに『共感ブランディング』(講談社)、『アルスエレクトロニカの挑戦』(学芸出版社)、『CITY BY ALL ~生きる場所をともにつくる』(博報堂)等。