──コロナ禍の中で、人々の購買行動はどのように変化したのでしょうか。
長谷川
顕著なのが、モバイル接触時間が非常に増えたことです。博報堂DYメディアパートナーズ・メディア環境研究所の調査では、2020年の1月末から5月末までの4カ月間で、携帯電話・スマートフォンの接触時間は25.7%も増加しています。あわせて、オンラインで買い物をする人も大幅に増えました。これは世界的に見られる傾向です。オンライン購買市場の規模は2019年比で、アメリカでおよそ20%、中国でおよそ30%、出遅れが指摘されてきた日本でも20%近い拡大を見せています。
注目すべきは、生活者とのさまざまなタッチポイントにECの機能が実装され、情報接点がそのまま「購買接点」になりつつあることです。生活空間に存在するあらゆるタッチポイントが購買経路になる環境を私たちは「Commerce Anywhere」と呼んでいます。
中川
これまでは、ブランド認知はマスメディアで、理解促進は自社ホームページで、購買は店頭もしくはECで、というのがマーケティングの基本的なアプローチでした。しかし、「Commerce Anywhere」の環境では、それぞれのタッチポイントが実購買の場となり、認知から購買までのマーケティングファネルがそこで完結するといったことも起こり得ます。
──あらゆる生活者との接点が「購買のインターフェース」になりうるわけですね。
長谷川
そうです。博報堂が提唱している「生活者インターフェース市場」とは、あらゆる生活者接点がデータを生み出すと同時に、生活者に新たな体験を提供する、インターフェースになるという考え方です。その中でも私たちのチームは、「購買体験」にフォーカスしています。
──「Commerce Anywhere」は、シニア層を対象にした場合でも成立する考え方なのでしょうか。
中川
以前は、シニア層はECをあまり利用しないと言われていました。しかし、コロナ禍によってシニアのEC利用率が大きく伸びています。国内では2020年にオンラインショッピングを利用した60代の割合は、前年比で16.2%増えて45.1%と半数近くに達しました。
https://seikatsusoken.jp/teiten/answer/231.html
長谷川
外出の自粛などが求められる中で、必要に迫られてECを利用するようになった人が多かったのだと思いますが、これは不可逆的な流れだと私たちは考えています。例えば、日用品、洋服、コスメなどをオンラインで初めて買った60代女性層は、20代から50代女性と比べて「継続的にECを利用したい」という意向が非常に強いという調査結果が出ています。これまでは使い方がわからず敬遠していたけれど、実際に使ってみると簡単で便利なことがわかったから、今後も使い続けたい。そんなふうに感じている人が多いのではないでしょうか。
──「Commerce Anywhere」には具体的にどのようなケースがあるのでしょうか。
中川
私たちは、日本、中国、アメリカ、東南アジアなどの動向を踏まえて、「Commerce Anywhere」を5つの型に整理しました「人×コマース」「アプリサービス×コマース」「店舗×コマース」「バーチャル×コマース」、そして「家/都市×コマース」です。
最初の「人×コマース」の代表的な例が、インフルエンサーを起用したライブコマースです。「人」がライブ配信上で生活者に直接語りかけ、その場で購買につなげるという手法ですね。しかし、最近はライブコマースが盛んになるあまり、インフルエンサーの起用コストが上昇するといった問題も指摘されます。そこで、日々の継続的な情報発信をするために増えてきているのが自社の従業員、店舗の販売員などの商品知識や接客力を生かして商品をアピールする方法です。
長谷川
重要なのは、目的に応じてこれらの手法を使い分けることです。例えば、ダブルイレブンやブラックフライデーなど買物がイベントとして楽しまれる際は、知名度のあるインフルエンサーを活用しながら大規模に新規顧客の集客を図る。反対に、継続的な情報発信でファンを増やしていきたいという場合は、商品知識やきめ細やかな接客に強みがある販売員が対応する、などが考えられます。
──2つめは「アプリサービス×コマース」ですね。
中川
この型のポイントは、すでに多くの生活者が生活インフラとして日々利用しているアプリサービスを購買接点とする点です。例えば中国ではWechatのミニプログラムが代表的ですが、メッセンジャーや決済など様々な機能をもつ「スーパーアプリ」の中で、外部の企業が顧客に提供したいサービスをアプリ内アプリとして提供できる仕組みが拡がっています。企業からすれば、ゼロから新たにアプリを開発する必要がなく、プラットフォームを利用する数多くのユーザーとつながることができるメリットがあります。一方生活者からすると、すでに日常の一部となっているアプリで買い物ができるのが大きな利点です。
長谷川
中国では、企業がメディアや流通を介さない「プライベートトラフィック(=顧客の自社への直接流入)」を確保し、顧客との直接接点を構築することがマーケティングの争点になっていることも背景にあります。例えばアプリ内アプリを活用して自社のECサービスを提供することで、アプリ内に店舗がもてるだけでなく、顧客データを自社で取得してマーケティングに活用することができるわけです。
多くの人に日常的に使われるということは、それだけ多くのデータが生まれているということ。コロナ禍を経て、米国で急速に拡大した買物代行のサービスや、東南アジアに見られるライドシェアサービスなどのアプリサービスが、新たな買物の手段として存在感を増しています。こうしたサービスが、今後マーケティングを考えていく上でも重要な生活者接点となっていくことが予想されます。
──3つめの「店舗×コマース」は、古くからある形態のように思いますが……。
中川
デジタルテクノロジーの進化によって、店舗の役割や位置づけが変わってきていると私たちは考えています。変化の方向性の違いを象徴しているのが、「BOPIS(ボピス)」と「体験型店舗」です。
BOPISは「Buy Online Pick-up In Store」の略で、オンラインで買った商品を店舗の専用カウンターなどで受け取ることができるサービスを意味します。店舗で商品を探す手間が省けること、レジに長時間並ぶ必要がないこと、配送を待つことなく好きなタイミングで商品を受け取れることなどが生活者にとってのメリットです。
長谷川
アメリカではコロナ禍以前から普及し始めたサービスですが、コロナ禍によって特にオンラインで注文した商品が店舗の駐車場で受け取れるカーブサイドピックアップのサービスを導入する店舗は7倍にもなりました。店舗への滞在が短時間で済むので、「密を回避する」という文脈で日本でもこの1年ほどで導入店舗が増えてきています。
中川
一方の体験型店舗は、リアルの場ならではのリッチなブランド体験を設計している店舗です。特徴的なのが、オフラインでの体験を起点にオンラインでの購買をつくっていく、リアル→デジタルの買物体験をシームレスにつなげるサービス展開が拡大していることです。例えば、店頭にあるセンサーとアプリを連携させて商品をレコメンドしたり、店頭に在庫がない場合はECで注文したりできるといったサービスです。商品自体はECで買っても店舗で買ってもどちらでもいいというスタイルが多いですね。
長谷川
商品の一覧性や、接客などを通じて魅力的な商品と偶然の出会いがあることなどがリアル店舗のよさです。そのオフラインならではの体験をデジタルと組み合わせる展開と言えます。BOPISがどちらかというと手間や時間を省いて買い物を効率化させる点に価値があるのに対して、体験型店舗は発見、出会い、ワクワクする体験などを提供するところに価値があります。こうした違いは、店舗の業態や販売している商品のカテゴリ、その背景にある生活者の買物プロセスによって相性の良し悪しがあります。なんでもデジタルを絡ませれば良いというわけではなく、あくまで生活者の買物体験を起点に、店舗の価値をうまく設計していくことが重要だと思います。
──4つめの「バーチャル×コマース」と、5つめの「家/都市×コマース」についてもご説明ください。
中川
この二つは現在のところ「兆し」が見えるというレベルですが、おそらく今後世界中でさまざまな事例が出てくるのではないかと考えています。まず「バーチャル×コマース」ですが、これは、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)の技術を使ってバーチャル展示会や商品発表会を行って、その場で購買までシームレスにつなげるというものです。
VRやARのよさは、商品を細部まで紹介したり、実際に身に着けている画像を生成したりすることができる点です。ブランドや商品をバーチャル空間で体験してもらい、欲しいと思ったらそのまま買ってもらう。そんなモデルですね。
長谷川
デジタル購買はリアルな購買と比べて、「衝動買い」や「ついで買い」が少ないと言われてきました。目的をもって買い物をする人が多いからです。しかしバーチャル展示会なら、ついつい買ってしまう、という行動を誘発することもできます。
中川
最後の「家/都市×コマース」は、キッチンやリビングルーム、あるいは街頭など、生活者の生活動線上に購買のポイントをつくる型です。例えば、キッチンで料理をしている最中に食材が必要になったら、冷蔵庫に搭載されたモニターから注文できる、あるいは鏡がモニターになっていて、服やコスメなどの情報が見られて購買もできる。そんな仕組みがすでに海外では実用化されつつあります。
長谷川
いずれも購買経路を最短化する、つまりニーズや困りごとから購買までの距離を極限まで縮めていくという考え方に基づいたモデルです。料理に関する購買欲求が最も生まれやすいのはキッチンだし、鏡で自分の姿を見ながら服やコスメを選びたいというニーズは多くの人がもっていますよね。それをデジタルの力で実現しているわけです。
──今後、「買物のDX」がどんどん進んでいきそうですね。買物のDXを目指す企業はどのような点に留意すべきですか。
中川
情報接点に購買機能を実装すること自体は、さまざまな技術やソリューションがあるのでそう難しくはありません。逆に言えば、その点ではなかなか差別化できないということです。むしろ重要なのは、技術やソリューションを使ってどのような体験設計をするかです。体験設計のポイントは2つあります。「利便性」と「ワクワク」です。
長谷川
買い物において顧客体験が重要であるというのはこれまでもずっと言われてきたことですが、「Commerce Anywhere」が実現する世界では、今までとは違った視点で体験をつくっていくことが必要です。たんに「どこでも買えます」ということではなく、オンラインとオフラインをつないでこれまでにない体験を提供し、便利に、かつワクワクしながら買い物ができる。そんな仕組みが求められます。
中川
クライアントとお話をしていると「DXに取り組んでいるけれど、購買までつながらない」という悩みをよくお聞きします。その一つの解が、どんな体験を作るのかということから発想し、新しい「買い物ジャーニー」をデジタルやテクノロジーを活用しながらデザインしていくことだと私たちは考えています。ジャーニーをデザインし、その中にさまざまな体験を組み込み、すべての購買接点を統合管理していく。そのような発想がこれからは必要になってくるのではないでしょうか。
長谷川
博報堂DYグループにできるのは、これまでの生活者理解の知見、クリエイティビティ、テクノロジーの力をいかしながら、体験の構想やインターフェースの設計からシステムの実装までを統合的にご支援することです。メーカー、流通、プラットフォーマーの皆さんのそれぞれが「Commerce Anywhere」を実現するサポートをこれからも続けていきたいと思います。どうぞ気軽にお問合せください。
2012年博報堂入社。TBWA HAKUHODOにてブランド・コミュニケーション戦略の立案に従事した後、博報堂買物研究所を経て、現在は主にインドネシアなどASEAN地域を中心に、生活者価値を起点とするデータマーケティングの推進やデジタルを活用した顧客接点開発・統合化、コマース/リテールDXソリューションの開発などを通じて、企業のDX推進を支援。
2020年博報堂入社。ストラテジックプラナーとして、グローバル領域における消費財・小売・食品業界等の企業のデジタルマーケティングを推進。顧客の購買/行動データを活用して、EC・オウンドメディア・OMO領域を中心としたマーケティングの高度化を支援する。