──まずは博報堂の海外事業体である「Hakuhodo International Unit」における中尾さんの役割を教えていただけますか。
「Hakuhodo International COO」兼「North America Operations, Executive Director」として、この連載に前回登場した伊藤Hakuhodo International Unit長を補佐しながら、博報堂のグローバルネットワークの総合力とサステナビリティを今まで以上に強化していくのが私の役割です。特にアメリカ市場に関しては、私自身が最高執行責任者として、クライアント・トップと直接向き合って彼らのビジネストランスフォーメーションの支援を行っていくことが重要なミッションになっています。
──中尾さんが執行役員に就任されたのは2015年でした。当時と今で、ミッションやビジネスの状況に変化はありましたか?
2015年度、私に与えられたミッションは「世界で戦える基盤づくりと仲間づくり」でした。市場動向や生活者のニーズ、クライアントのニーズはいずれも常に変化・進化し続けているので、表現の仕方に違いはありますが、ミッションの本質は今も変わっていません
2015年は、シカゴにHakuhodo USAを設立した年であり、当時はまだ北米や欧州における博報堂らしいプレゼンスとは何かを模索している段階でした。クライアントが与えてくださったチャンスのおかげで、厳しい米国マーケットにおいて具体的成功事例をいくつも残すことができ、その結果毎年継続的にビジネスを成長させるだけでなく、高いレピュテーションを築くことができました。これはこの5年間の最も大きな変化であり成果と言えるかもしれません。
──Hakuhodo USAが、2021年7月にシカゴからニューヨークに移転しました。その経緯と狙いを教えて下さい。
アメリカ市場における我々のビジネス展開が、次のステージに踏み出すという象徴的な意味合いがあります。
博報堂は、1975年3月にHakuhodo Advertising America Inc.を設立して以来、アメリカという市場に長年チャレンジを繰り返してきましたが、さまざまな課題に直面し、大きな成果は出せずにいました。
Hakuhodo USAとしてのビジネスをシカゴにおいて軌道に乗せたことを踏まえ、今度はニューヨークというアメリカ市場のど真ん中で米国広告業協会(4A)に加盟する広告会社と肩を並べ、博報堂らしい生活者発想の強みを活かしたケイパビリティ―の増強により新たな価値をクライアントに提供していきたいと考えています。
──その決断の背景として、博報堂DYホールディングスの戦略事業組織であり、クリエイティブ企業集団である「kyu」の存在がありましたか?
たしかに、ニューヨークに拠点を持つkyuの存在も大きかったです。私が博報堂の強みとしてこだわっているのは「ひとつながり」。つまり博報堂DYグループ全体のインテグレーションを進めて、各組織が分断することなく、ひとつながりのチームとして力を発揮していくことを目指しています。見ず知らずのエージェンシーをM&Aするよりは、まずは我々の大切なパートナーであり家族であり、同じ価値観を共有できるkyuとの協業をより強化していくべきかを考えました。
kyuとの協業は、「シナジー」というか「アルケミー(錬金術)」だと思っています。私の大好きな心理学者ユングが、こんな言葉を残しています。
“The meeting of two personalities is like the contact of two chemical substances. If there is any reaction, both are transformed.”
人と人との出会いだけでなく、組織同士の協業の魅力もまさに化学反応的であり、アルケミー的なところですよね。それを実現できるパートナーとして、私は「社会と経済を前進させるクリエイティビティの源になる」というkyu全体のパーパスに共感し、感銘を受けます。博報堂らしさが今までとは違う次元でクライアントに提供できるという想いがあり、今回の協業を本当に楽しみにしています。
──kyuは、パートナー達が力を柔軟に発揮できるような協業文化を「コレクティブ」と呼んでいますね。Hakuhodo USAとしても、kyu傘下のさまざまなパートナーと一緒に、コレクティブに仕事していこうということですね。
そのとおりです。コロナパンデミックでの大きな学びの一つは、ビジネスにおいてはサステナビリティがすべてだということ。長期のビジョンの下でクライアントがどんな価値を提供すべきか、我々が誰よりも深く考えていく必要があり、我々自身もエージェンシーパートナーとして、長期的に継続して付加価値を生み出し、責任を持ってクライアントをサポートできる体制が必要です。そのためには、チームは少数精鋭で、クライアントの課題に合わせて最高のパートナーを選定して、プロジェクトごとにコラボレーションしていく方針です。そのためには、kyuの柔軟な協業文化はHakuhodo USAに合っており、彼らと組むのは最適な経営判断なのです。
──移転を機に、Hakuhodo USAの陣容も拡大するのでしょうか。
単純にメンバーの数を増やす考えはありません。すべてはTalent、人だと思うのです。せっかくニューヨークにいるのですから、その道のプロたちと仕事をしたい。
もう少し詳しく言うと、例えば映像の仕事であれば、映画業界の一流のカメラマンやフィルムエディターたちとチームを作りたいですし、イベントを企画するのであれば、建築家たちとのコラボレーションもトライする。今までも日本では隈研吾さんとのコラボなどいろいろと手掛けてきたのですが、ブランド・ストーリをきちんと「文化」としてお客様に届けたい。このレベルの仕事は、スタータレントたちをすべて抱え込むという保守的なやりかたではなく、本当の意味での「コレクティブ」としてコラボレーションを通じて、足し算ではなく掛け算を創っていくのです。ですので、私たちのコラボレーションを仮にロゴで表すとすると掛け算の記号になります。
──コロナ禍を機に、日本では企業の「DX」の必要性が高まり、キーワードとしても注目が高まりました。海外ではこの言葉、どう捉えられていますか。
アメリカでも、あるいは中国でも同じだと思いますが、DXという言葉はもはやあたりまえすぎて、むしろそれを使っている時点で古いとすら感じてしまいます。ブランドという言葉や概念がビジネスの前提になっているのと同じように、デジタルを使ってビジネスをトランスフォーメーションしていくべきなのは言うまでもないので。重要なのはあくまで「ビジネストランスフォーメーション」。我々はどうやってクライアントのビジネスを“包括的に”変革させるのか。デジタル領域に限らず、デジタルとリアルのシームレスな融合によるカスタマー体験であったり、より本質的な議論がなされていると思います。
──逆にグローバルで重視されているキーワードは何かありますか。
必ず会話に出てくるのは「Purposeful Branding(パーパスブランディング)」ですね。これは自分たちが社会で”存在する理由”を社会に認知してもらい、共感を得て、長期に渡って認識してもらうことでブランディングの強化につなげるという考え方です。
企業は、顧客との接点全てにおいて存在意義(パーパス)や社会価値を持つべきであり、パーパスを真ん中に据えた時、それらは何になるのか。それを最も理解してくれるコミュニティはどこにあるのか、ブランドとお客様とのSense of Belonging(一体感)をどう醸成していくのか……といったディスカッションが増えています。
──今回のコロナ禍は、グローバルビジネスにどんな影響を及ぼしたと捉えていますか。
ネガティブなことがたくさん起こったのも確かですけれど、その一方で、我々にとって学びが満載な1年だったと感じています。少なくとも現代において全世界が均等に、共通のクライシスを経験したのは、今回のコロナパンデミックが初めてでしたから。
私が注目したのは、ヒューマンインサイトがどう変わるかということでした。グローバルでは昨年以降、大きく3つのインサイトがよく語られています。
1つめは「culture of connection(つながりに対する価値観)」。コロナ禍で人と直接会うことが難しくなる中で、自分の人生にとって何が大切か、本当にコネクトしたいのは誰なのか、何のために時間を使うのが重要なのか……などを考える機会を私たちは与えられました。人々のインサイトにも大きな影響を及ぼしたと思います。
2つめは「culture of respect(リスペクトに対する価値観)」。残念ながら昨年来、BLM(Black Lives Matter)からアジア系ヘイトまで、異文化に対するネガティブなニュースがよく取り上げられています。でも、コロナ禍でソーシャルディスタンスを強く求められるようになった一種の反動として、実は身近な生活者の世界ではダイバーシティだけでなく、インクルージョン(inclusion=受容性)と真剣に向き合い、理解を深めようとする意識がむしろ高まったのではないかと思います。異文化に対してのリスペクトが自然と育まれたというか。
3つめは「culture of innovation(イノベーションに対する価値観)」です。コロナ禍のこの1年は、アメリカで新たな起業や事業創造が非常に伸びた期間でもあります。ビジネスが大きな打撃を受けた一方で、探究心、想像力、発想力が高まり、人々は最もクリエイティブになりました。博報堂の掲げる「別解」の発想が進んだというか、今までの法則では乗り切れないような局面を前向きに楽しんだ人々、チャンスだと捉えた人々が数多くいたのだと思います。
不確実性が高まり、「変化」だけが唯一約束されているという時代の流れの中で、新たな価値をどう生み出していくのか。クリエイティビティの発揮が最も求められている時期であり、そういう意味で「culture of innovation」あるいは「culture of invention」がよく語られています。
この3つのインサイトは、今後のグローバルビジネスにさまざまな形で色濃く表れていくはずです。例えば、ファッションブランドが真っ先にマスクをつくったとか。ファッションショーのインビテーション(招待)をすべてデジタルでやったとか。すごく排他的だったものがデモクラティック(民主的)になったとか。あの対応力の速さは、興味深いですね。ブランドパーパスがしっかり確立できてさえいれば、どんな変化にも対応できるという表れでもあると思います。
──ブランドパーパスが明確化できている企業は、危機的状況の中でも変化しながら生き残っていくということですね。
パーパス(存在意義)が明確な企業は、むしろこの環境下でより強くなっているのではないでしょうか。今まで以上に、違いがはっきりと出てくると思います。
──Hakuhodo USAがアメリカ市場において、クライアントから選ばれる理由とは何だと考えていますか。
もちろん、それは具体的なWorks x Talent以外にありません。でもその背景には博報堂のDNAである「生活者発想」がルーツとしてあります。何よりも美しい博報堂の独自性だと私は思っていますし、博報堂が世界中のどこに行こうと、唯一無二の真実というか。クライアントのPurposeful Brandingに携わる以上、我々自身も生活者発想というパーパスを大切にしていくべきだと考えています。
クライアントにとっても、これだけ世界が大きく変わる中で、生活者が今どんな想いを抱き、ブランドとして将来の接点を何処に見出せるのかを考えることが重要になっています。生活者に常に寄り添ってきた我々博報堂は、それを全力でサポートできる。生活者発想は博報堂のパーパスであると同時に、最大のケイパビリティであります。実は、パーパスとケイパビリティがイコールな会社って、そんなにないと思うのですね。
パンデミックからもう一つ学んだことは、ローカルの強さでした。ローカルが強くなればなるほど、日系クライアントは海外でより強く「Foreign Brand」と認識されてしまう。そんな中で、現地のローカルな市場にどう入り込んでいくかは重要な課題です。その意味でも、自身も含めての生活者視点は非常に大切です。私自身も、ニューヨーク赴任後は可能な限り出張を控え、アメリカに腰を据えた生活者として現地視点を基軸にアメリカ市場のことを知り、学び、深く理解したいと思っています。
──最後に、中尾さんご自身がHakuhodo USAで、あるいはHakuhodo International全体として成し遂げたいと考えている目標やビジョンをぜひ教えてください。
私は2015年に、博報堂グループにおいて最年少の、かつ初の女性役員に就任しました。じつは残念ながら2021年時点でも、まだ私は最年少で唯一の女性役員なのですね(笑)もっともっと次の人が出てきてほしい。
少なくとも私がExecutive Directorを務めるHakuhodo USAにおいては、女性役員比率をどんどん高め、LGBTや女性活用を含めたインクルージョンを意識し、グローバルスタンダードに相応しい組織風土をつくっていく考えです。Hakuhodo USAだけでなく、Hakuhodo Internationalが博報堂グループ全体に大きく貢献できるのは、こうしたグローバルスタンダードの価値をリードしていくことだと思うのです。私だけでなく、Hakuhodo Internationalのすべてのリーダーたちはこの点を非常に大切に考えています。私もHakuhodo USAを、博報堂全体の風土に常に刺激を与えるような存在にしたいと思っています。
1995年米ウェルズリー女子大学卒業、1996年博報堂入社。営業職、コンサルティング職などを経て、2015年7月にグローバルビジネス担当執行役員に就任。2021年4月よりグローバルビジネス米国担当執行役員に就任。