こんにちは。アルスエレクトロニカと博報堂による「アートシンキングプロジェクト」メンバーの津田啓仁と申します。
この記事では、アルスエレクトロニカが毎年発表するメディアアートの賞である「Prix Ars Electronica(プリ・アルスエレクトロニカ)」の今年の受賞作品を紹介し、それらの作品から引き出される企業活動のヒントについて考えてみたいと思います。
2021年のPrix Ars Electronicaは、
・コンピューターアニメーション
・AI&ライフアート
・デジタルミュージック&サウンドアート
の主要3部門に分かれ、
加えて、
・u19 – create your world
・Isao Tomita Special Prize
・Ars Electronica Award for Digital Humanity
の合計6部門で構成されています。
主要3部門ごとに、Golden Nica(1作品)、Awards of Distinction(2作品)、Honorary Mentions(12作品)の賞がそれぞれ設けられています。受賞作品の詳細はこちらをご覧ください。
https://ars.electronica.art/prix/en/winners/
さて、本記事では「AI&ライフアート」部門について、受賞2作品を紹介します。
まずは、Golden Nicaを受賞した、『Cloud Studies』という作品について。詳細はこちらからご確認ください。
『Cloud Studies』は、学際研究グループForensic Architectureが行った8つの調査をビジュアライズしてまとめ、サイト上で公開しているプロジェクトで、有毒な物質によって生み出された「雲」を可視化しつつ、空や大気を汚染する様々な社会的現象を検証しています。市民が撮影した写真や映像、公表されているオープンデータなどを素材にしつつ、それを扱うデジタルモデリング、機械学習、流体力学、数学的シミュレーションなど多様な技術を組み合わせ、「雲」に見いだすことができる社会的な暴力などを解明・議論するための、新しいプラットフォームとなっています。
まず今年の受賞作品の全体潮流として、「気候変動」をテーマにした作品が多く、世界中の社会的関心として環境意識の高さが見えてきます。その中でもこの作品は、一言に環境問題としてだけでは捉えられない側面を持っています。
CaO(セメント)、P4(白リン)、CL(塩素)といった(しばしば紛争で用いられる)汚染物質の元素記号を映像のチャプターにして、淡々と一つ一つ、どのように大気中に放出されたかの分析を様々なデータを活用して行い、ビジュアライズしていきます。
この作品の中心テーマは、攻撃や暴力の媒介でもあり、汚染の最も直接的な対象でもある「空気」というものの思考しづらさであると思います。空気中に放たれた上記の汚染物質は、おぼろげな色や形で見ることはできますが、数十秒、数分もすれば姿形もなく霧散して消えてしまう。それを丹念なデータの収集と可視化技術で市民科学的にビジュアライズし、私たちの問題としてリアリティとともに提示しているのがこの作品です。美的表現にも近いビジュアライズの手法は、もともと関心の薄い人にとっても印象に残るような力を感じさせます。
環境破壊といえば、数十年前との比較イメージや数値的な根拠で示される氷河や森林の「減少」がまず代表的と言えるでしょう。そのようなセンセーショナルな形で取り上げられる環境破壊ではなく、痕跡が残りにくい、消えやすい、それでいて極めてフィジカルで、私たちの器官に直接触れる「空気」の環境破壊。この作品が明らかにしているのは、私たちの生活と切り離されてしまっている「遠い自然」への汚染ではなく、私たちの世界そのものであり、私たちの体に直接干渉する「地続きな自然」への汚染です。
いわば、人間にとって最も物質的で不可欠なメディアとしての空気をまなざすアート(技術)によって、環境は、私たちにとって関係のあるものとして、近づけられ、何かを感じること、思うことが可能になります。
この作品は、「霧と形の間で、分析と体験の間で」という言葉で締めくくられます。とても詩的な表現ですが、この言葉に込められているのは、霧散してしまうもの、形として感じ取れないものをいかにまなざすか、透明なものを見る力を取り戻すことの重要性に他なりません。
さて、続いてAwards of Distinction受賞作品から『The Museum of Edible Earth』を紹介したいと思います。
『The Museum of Edible Earth』は、「鉱物を食べる」という体験によって来場者の五感を通して、地球と人間との関係という複雑なテーマに触れることができる展示です。アーティストチームmasharuは、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの国々で古くから行われてきた精神的な癒しの行為である、土やチョークなどの土に似た物質を食べる「ジオファジー」を取り上げ、来場者は6カ国から集められた400個のサンプルの鉱物や土を触ったり、味わったりして、環境との関係を考えるきっかけにすることができます。
よくよく考えてみると、例えば岩塩も鉱物の一種であり、鉱物を食べること自体はそれほど特別な風習ではないように感じますが、やはりその場で地面を掘り、体を入れ込んで取り出した土を食べるリトアニアの女性の映像シーンには、たじろいでしまうような感覚があります。
ジオファジーという習慣と「食べられる土」を西洋の視点で「発見」し、ピックアップして、ミュージアムの形で収蔵・陳列するという無邪気な行為は、帝国主義的な権力性を帯びるものとして、批判の的にもなりうるような側面を持っています。しかし、映像のなかで表現されているのは、他者からの収奪ではなく、アーティストたちの、他者を身体感覚で直感的に理解することへの意欲のようなものです。
そもそも「食べる」とは、とても不思議な行為であり、生物的にいえば、自分を保存するために外部を取り込む、そのために動物や植物の命を直接いただく行為です。しかし、例えば気分を変えたいから食べることもあれば、誰かが食べているから一緒に食べる、という社会的な理由もありえ、「食べない」という場合でも、時に、アレルギーなどの物質的な拒絶もあれば、思想的な意味で特定のものを食べないことも一般的です。何かを食べる、食べないという選択にはそういった様々な条件や歴史が含みこまれています。
さて、この映像から見て取れるのは、彼らが食べているのは、土だけではなく、土の背景にある土地そのものとの結びつきだったり、土地が持っている力のようなもの、ということだと思います。おそらくこのアーティストは、そういった部分に惹かれていて、だからこそ、欧米社会に投げかける形で少しドキッとするような風習を取り上げているのではないでしょうか。
Cloud Studiesが、空気に注目することで、環境を私たちにとって関係のあるものとして近づけ、何かを感じること、思うことを可能にする作品だとしたら、本作品は、土を食べるという行為によって、その環境(土地)と自分との関係を最も直接的な形で回復する作品であると言えます。その、世界との距離の縮め方の強さ、ラディカルさがこの作品ならではなところだと感じます。
さて、自然や環境をテーマにもつ2作品について紹介しました。どちらも共通するのは、「自然」との距離をどのように縮めるか、何を媒介にして「いま、ここ」に暮らす私たち自身と結びつけなおすか、という問題であります。この観点は、SDGsなど企業活動としての環境貢献にも、別様の視点を与えてくれるのではないでしょうか。
海や氷や森といった「遠くの自然」のための環境行動としてではなく、空気や土という私たちの生活で直接触れ合うことができ、同時に、「遠くの自然」につながっていく「地続きな自然」を見つけること。それらをただ単に「よくする」「きれいにする」という形での貢献ではなく、私たちの生活の中に「結びつける」にはどうすればよいか、を考えること。
日々の生活の中でのそのような自然への感受性があって初めて、海や氷や森といった「遠くの自然」が確かな存在として立ち現れるのではないでしょうか。
そして、そのようにSDGsを考えていくことは、私たちの日々の生活そのものを変えていくような事業や取り組みになりうるのではないでしょうか。
2019年博報堂に入社。東京大学・大学院で、文化人類学を専攻。研究テーマは、ヴァーチャル空間と自閉症。入社後、アートシンキングやデザインシンキングを活用したプロジェクトにストラテジックプラナーとして従事。他、若者研究所に所属し、エスノグラフィーなど人類学的な手法と精神を取り入れたリサーチで、プロジェクトを開発中。
※この記事は、博報堂ブランド・イノベーションデザインのnoteで掲載された記事をもとに編集したものです。