岡本
「2030年の旅」についてさまざまなゲストの方々と考えてきた本連載も7回目となりました。今回のゲストは、産官学民を超えてクリエイティビティの研究・開発から社会実装までを行っている「UNIVERSITY of CREATIVITY」主宰の市耒健太郎さんです。これまで海外の広告祭などで軽くお話しする機会はありましたが、じっくりお話しするのは初めてなのでとても嬉しいです。よろしくお願いします。
市耒
岳ちゃん、久しぶりです、よろしく。
岡本
よろしくお願いします。
まずぼくらwondertrunk & co.について軽く紹介させてください。創業した2016年頃は世間にはインバウンドベンチャーが溢れていましたが、ぼくらは東京や京都などの有名観光地ではない、たとえば島根の石見神楽をテーマにしたり、長崎の五島列島で隠れキリシタンの痕跡を辿ったり、山形の出羽三山で山伏修業を体験したりと、あまり知られていない地域にスポットを当てた旅行体験を提供することで、地域と旅人とのいい関係性をつくることを目指しています。海外のクリエイターと一緒に旅やプロモーションを作ることも多く、彼らならではの視点、センスを生かしてコンセプトを練った商品も多い。海外の、特に富裕層の旅行者向けに皆でいろんな旅をつくっています。
市耒
いいじゃんいいじゃん。岳ちゃんがいちばん好きなことを仕事にするのは大変だろうけど、素晴らしいね。
岡本
ありがとうございます。健太郎さんは現在「UNIVERSITY of CREATIVITY」の主宰として、クリエイティビティという絶対的な命題のもと、さまざまなテーマ、領域でプロジェクトを進められていると思いますが、そのなかで「創造性」や「旅」というものをどう位置付けられていますか。
市耒
テーマが大きいからうまく言葉にできるかわからないけど、まずはこれまで世界経済フォーラムとかいろいろな国際会議に参加しながら、世界の成り立ちみたいなものに対して自分なりに考えていることを話すね。
まず歴史的に見てみると、第一次産業革命で化石燃料による動力の変革があったわけだけど、それに次いで第二次産業革命では機械による大量生産が可能になって、第三次産業革命ではコンピューターによる情報化が広がって、第四次産業革命ではAIやIoTが基盤になってるよね。これらはあくまで環境の話であって、人にどんな変化をもたらしたかというと、第一次産業革命では蒸気機関車によって脚が代替されて、第二次産業革命では機械化で手仕事とかの身体性が代替されて、第三次産業革命では人の記憶や情報化をつかさどる左脳的な力、そして現在の第四次産業革命では思考やひらめきをつかさどる右脳的な力さえ代替されつつある。そうしていつの間にか人間の居場所がなくなってキュークツになっちゃったのが、いまの時代なのかなって。せっかく家族でリゾートまで来てるのに、海の前でそれぞれがスマホをいじってるなんて光景がぜんぜん珍しくない。幸せになるためのツールによって人間がはじっこに追いやられちゃってる感じ。このままじゃ人類は「アルゴリズムの奴隷」になっちゃうんじゃないかって感じています。
じゃあ、アルゴリズムが得意とするのはなにかって言うと、突き詰めれば最適化と合理化で、それが続くと世界の均質化が起きる。そうして予測不能なこととか意外性よりも、過去のルールにのっとったこと、過去にうまくいったパターンがどんどん推奨されるようになる。クリエイティブは一点ものの感動化、データは過去をベースにした最適化と考えると、そもそも両者の相性はあまりいいものではないんだよね。
で、それぞれの産業革命でポイントとなる「資本」は何かというと、第一次は土地、第二次は工場、第三次は情報とお金だったわけだけど、第四次産業革命からは「創造性」なんじゃないかと。ワクワクドキドキしたい、泣きたい、震えが止まらないといった体験は、ある意味、時空と自分が融解するような感覚だけど、今あるデータワールドは価値の縮小再生産をしているだけで、そういう感覚に対応していない。だったら、創造性を資本として、企業とかコミュニティとか地球環境を見直すようなプラットフォームをつくればいいんじゃないかと考えたわけ。
岡本
それが、「UNIVERSITY of CREATIVITY」立ち上げの構想ということですね。壮大な話ですね。面白い。健太郎さんの、旅の原体験についても、ぜひお願いします。
市耒
旅って、大きく体(フィジカル)の運動と精神(マインド)の運動があると思う。家で本を読んでいても人生を変える旅はできるし、体をともなう精神の運動もある。いっぽうでせっかく地球の裏側に行っても用意されたツアー通りに行動して、精神の運動量があがらなければ、あんまし残像がないかもしれないよね。
大きな物理的移動でいうと、ぼくのいちばん初めの海外旅行は、南アフリカとボツワナだったんです。18歳のとき。兄貴のように慕ってた従兄弟が大学を中退して、シンセサイザーと民族楽器をしょって、ケープタウンからパリまで自転車でアフリカ縦断してたんです。新しい音楽つくるって。その兄貴が、ボツワナと南アフリカの国境で事故で亡くなっちゃったんだ。その知らせを外務省からもらった親父から、お前明日行ってこいって。泣きながら飛行機乗って20時間かけてヨハネスブルク空港に着陸して、まさに空港から一歩踏み出したその瞬間、背中にナイフを突きつけられたのね。「Can you give me money, please.」って。おいおい、俺は今それどころじゃないんだぞって。
そっから車でがたごと道を3日間くらい走って、いとこが亡くなった現場に到着したんだけど、到着したぞって言われても道もなければ建物も人工物すらなにもないただの草原。360度地平線と森と動物が見えるだけのまさに野放図な自然が広がっていた。足元を見ると、いとこの血痕だけが土の上にまだ残っていて。「地球ってこういうことなんだ」っていう圧倒と「おいおい、人生ってなんなんだ」っていう混乱が同時に襲ってきた。
岡本
人生最初の海外旅行としては、非常にインパクトが強いですね。なかなか普通の人はできないような体験をされて…。
市耒
まあ、計画していったわけではないからね。でも、その経験から「この世界は非連続でできているんだ」って信じるようになった。現代社会は人間を安定的に生きられるように大きなシステムを作り上げたけど、そのシステムから自由にはみでるものがたくさんあるから、桁違いのうれしさも悲しさも感動も生まれるんだって。旅というものは、そもそも“アート・オブ・ディスカバリー”、つまり世界の非連続性のありかを探すプロセスだって思う。だって、東京のビルの中で同じことを繰り返していたら、どうしても限られた場所での部分最適を目指すようになっちゃうから。
岡本
予定調和ではない、非連続の感動を旅が与えてくれると。
市耒
いま振り返ると、ですけどね。若いときの旅って冒険も恋も戦いもヒャクパだから、そのときはなにも見えてないし、それでいいんだよ、きっと。で、さっきの話に戻ると、第四次産業革命のおかげで、世の中はAIやIoT、ビッグデータの活用でじゃんじゃん合理化と最適化を推し進めてるけど、世界がそんな簡単にいくはずない。そもそもDXだけで固められた未来なんて面白いわけがない。そういう時代にこそ、非連続性を内包しているのがこの世界なんだということに気づく必要がある。なんなら最先端の物理学では、時間ですら一直線上には存在せず、過去と現在と未来のできごとが散逸的に折りたためられたものだという理論もあるくらいで。最後に岳ちゃんと話したのはタイの屋台で10年も前だけど、ついこないだのように今とつながっている感覚ってあるでしょう。ぼくらは常識という枠のなかである種の安定性を生み出す必要もあるけど、長い歴史をみると科学や社会通念の常識すら常に一変する可能性がある。そういう感覚を研ぎ澄まさせてくれるのも、旅。
岡本
なるほど。いやー、こんなユニークな旅の話は誰にも聞いたことないです(笑)。強烈ですね。健太郎さんが「UNIVERSITY of CREATIVITY」のコンセプトブックでまとめられた「創造性全史」を見ても、世の中の流れが変わる基点にクリエイティビティがあって、まさに非連続性を引き起こすものという感じを受けていましたし、「旅の効用としての創造性」については非常にうかがいたかったテーマ。いまのお話はすごく納得がいきます。
市耒
ぼくたちの仕事なんか、まさに日々、固定観念を超えて直感で選ばなきゃいけないことが多いですよね。ゼロイチへの興奮が未知への不安を塗り替えていく。周りを見ても旅を日常的に人生に取り入れている人って、そういう非言語的な直感がどんどん磨かれていると思います。テキストとかロジックってデータ上は再現可能だけど、本当は再現不可能なものが人の感動の根源にあるはずで。旅は、部分最適の前提を疑わせてくれる。プラハの1000年前の煉瓦造りで溶けるような街並みを歩けば、東京のオフィスビル街がどれだけ不自然な選択をしているかを体で感じさせてくれる。
岡本
うーん、なるほど。納得です。
市耒
以前、縄文研究をしている先生と話したことがあるんだけど、人類の祖先が700万年前にアフリカ大陸で生まれてから移住を繰り返して、日本には4万年前、南アメリカに1万年前にたどりつくわけで。つまり人類の歴史は、長い間、人生そのものが旅だったと。日々の生活も、狩猟採集だから獲物を採り終えたら、よし次を探すぞというように。それが縄文で定住を始めて、弥生時代にはその旅マインドがなくなった背景には、やはり農業の出現があるんだろうって。一度開墾したら移動する必要もなくなるし、稲は乾燥させれば4、5年はもっちゃうから、道具や蔵を進化させて、蓄えながら定位置で暮らすようになる。移動すればまた水を引いてインフラから整備しなくてはならないからなおさら動かなくなる。そこから1年の耕作サイクルができ、さらに稲は何かと交換することのできる最初の貨幣となり、お金の概念が生まれて、律令国家につながる。そうして、そこで得た蓄えを今年も来年も何かと交換することができるという、つまり「イコール(=等価)」のコンセプトと周期の概念が社会にインストールされるわけ。一方、移動型の社会にでは、つねに新しい情報や新しい人や新しい自然と出会うので「ノットイコール」に満ちている。人生がイコールばかりだとなんだかつまらないじゃない? それはぼくらの細胞が、いつもどこかで本質的に「ノットイコール」を求めている好奇心で満ちているからだと思うんだよ。
岡本
ぼくもコロナ禍の間中、「旅と移動の変遷」について自分なりに勉強しているんですが、その中でも、遊牧民型DNAと定住型DNAの存在について学術的に研究を紹介した本は面白いなと思いました。それが本当だとしたら、ぼくもそうですが健太郎さんは遊牧民型に近いのかもしれません。ちなみにその本によると、遺伝子的にも結局は定住型の人がマジョリティになっていくという話ですが、健太郎さんのお話では、そもそも移動するという意志をもった人たちが世界中に広がっていったことがルーツということですよね。
市耒
狩猟採集というのは、工場規格生産の真逆だから、何一つとして同じものが存在しない世界。このどんぐりのばらばらのサイズ、このりんごのばらばらの色、この魚のかたち、この風の怖さ、この雨の強さというものに対して、好奇心をもって動き続けるということ。つまり、想定外を積極的に愛せる文明ということ。ただその生き方だと、食わせられる集団のキャパはどうしても最大30人くらいで、実際に縄文の集落もそれくらいだったんだって。でもイコールの世界では、同じものを大量生産でき、規模の経済が働くから野菜も同じ色同じ形の規格品になって、1400万人いる東京のようなメガロシティでも食べさせることができる。だから数字的なマジョリティは、どうしても定住型に奪われちゃう。
いまは世界のどこに行っても同じ名前のコーヒーやファーストフードのチェーン店があって、建築材からスマホにいたるまであらゆる文明が「イコール」に支配されているけど、ある種の縄文性というか、世界の森羅万象性への憧れがぼくらの心にはきっとあって、それがダイバーシティとかSDGsとかZ世代の非マスへの流れを加速させているようにも感じるんだよね。簡単に言うと、ぜんぶおんなじじゃつまんねえよ、っていう。
岡本
なるほど。偶然ですが今年3月、この連載にも登場いただいた写真家のエバレット・ブラウンさんと、縄文をテーマに新潟を旅行したんですよ。学芸員さんによると縄文土器は主に女性がつくっていたそうですが、そのクリエイティビティについて話が弾みました。
市耒
縄文文化が今こそ注目を集めちゃうのも、均質化、合理化、最適化といった一連の流れに対する抗いのような気はするよね。
≪後編へつづく≫
株式会社博報堂にてCMプラナーを経て、クリエイティブディレクター。デザインと次世代クリエイティブを融合する「恋する芸術と科学」ラボ設立。カルチャーマガジン「恋する芸術と科学」編集長。これまでの特集に「新しい世界制作の方法」「モノヅクリはモノガタリ」「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない」「エコ・エゴ・エロ」「Tokyo River Story」「非言語ゾーン」「食のシリコンバレー|JOZO2050」。発酵食べ歩きフェチが乗じて発酵醸造未来フォーラム代表。UNIVERSITY of CREATIVITY主宰。http://uoc.world
2005年株式会社博報堂入社。統合キャンペーンの企画・制作に従事。世界17カ国の市場で、観光庁・日本政府観光局(JNTO)のビジットジャパンキャンペーンを担当。沖縄観光映像「一人行」でTudou Film Festivalグランプリ受賞、ビジットジャパンキャンペーン韓国で大韓民国広告大賞受賞など。国際観光学会会員。