──お二人は、中国とアセアン地域における博報堂グループの生活者研究の最前線で活躍されています。まずは生活綜研(上海)と生活総研アセアンとはどんな組織なのか、お聞きかせください。
鐘
生活綜研(上海)は、2012年に上海に設立された博報堂グループの海外初のシンクタンクです。博報堂生活総合研究所(1981年設立)が有する生活者研究の知見とノウハウを、中国の生活者の本質的な欲求把握に活かし、クライアント企業のマーケティング活動支援と新しい暮らしのあり方を提言しています。
我々のミッションは、①中国のクライアントや広告業界に対して、博報堂グループのフィロソフィーである「生活者発想」のさらなる浸透を図ること、②事業パートナー、拠点のローカル社員に対し、生活者発想に対する理解と実践を促すこと、③生活者発想の具体的な“武器化”を図り、ソリューション開発に寄与すること……という3つです。
伊藤
生活総研アセアンは、アセアン地域における生活者研究のシンクタンクとして2014年にタイのバンコクに設立され、現地に根差した様々な生活者研究をしています。活動成果は、博報堂グループ拠点を介して顧客クライアントに提供しているほか、発表会やウェブサイト、出版物などを通じて研究成果を対外発信しています。
私たちのミッションも生活綜研(上海)と同じです。これらに加えて生活総研アセアンでは、私がManaging Directorに就任した2018年から、生活者発想の体現者を増やす狙いで、生活総研アセアンの各国のローカル採用のマーケティングプラナーと他拠点に在籍するプラナーが同じプロジェクトに携わったり、「横の繋がり」を強化できるような体制を構築したり、研修を行ったり、と特にプラナーに特化した人材育成に力を入れています。
──この連載に登場した社員は、海外のクライアントは「生活者発想」に対する関心が高く、博報堂が選ばれる強みになっていると語っています。実際はどうなのでしょうか?
鐘
「生活者」という言葉は一見、中国語にもありそうですが、実はそういう言葉も概念もなくて、非常に新しい概念として受け取られていますね。いい意味で違和感を覚える言葉というか。ですので、その違和感をとっかかりに、「博報堂グループは、人間を消費者ではなく生活者と捉えて、その生活のすべてをまるごと理解しようとしているんですよ」と話すと、説明としてすごく入りやすいですし、博報堂グループがこのフィロソフィーを大切にしていることが新鮮に伝わって、多くのクライアントやパートナーが賛同してくれています。改めて、我々の提供する独自の価値なんだなと実感しています。
伊藤
私たちは、「人々が生活している風景を360度から丁寧に見ている」というだけではなくて、調査研究で得た知見を基に、「生活者をより幸せにしたい」、「クライアントの商品を通じて、より良い生活習慣や文化を提案したい」と常に考えています。その想いが社員全員に当たり前のように浸透しているので、その点も海外の方々が認めてくださっている理由だと思います。
博報堂社員にとっては当たり前すぎる行動理念も、海外の方には非常に興味深いものとして捉えていただくことが多く、我々が選ばれる強みなのだなと海外に出て改めて感じました。ローカルのメンバーと一緒により一層深めていくべきだと思っています。
──日本の生活総研との立場や活動の違いはあるのでしょうか。
鐘
基本的な考え方や活動内容は日本ともアセアンともそれほど違いは無いのですが、生活者研究は最も重要な業務となっています。また、生活者研究のみならず、拠点ビジネスサポートの一環として、マーケティングナレッジ蓄積とソリューション開発、社員スキル育成、クライアント業務支援など、さまざまな役割を担っているため、より広範囲にわたる貢献がグループ内から求められています。
伊藤
その通りですね。具体的にお話しすると、生活総研アセアンの研究員は全員マーケティングプラナーで、現業としてクライアント企業のプラニング業務も行っています。東京本社からの依頼でプラニング業務に携わることや、博報堂の各アセアン拠点に在籍するプラナーと協働する場合もあります。
研究員とプラナー。二足のわらじというか、2つの肩書きを持っているので、現業を通じてクライアントの抱える課題や現地のマーケティングトレンドなどをリアルに把握できるおかげで生活者研究が深まりますし、その成果をさらにクライアントへの提案に活かせるという好循環ができているのが強みだと思っています。
──生活総研アセアンの場合、複数の国々の拠点に、スタッフを置いているのも特徴ですね。
伊藤
そうですね。各国(タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、フィリピン)の傾向と、アセアン全体の傾向、両方をつかむ必要があるので、6カ国・6拠点のプラナーたちを研究員としてアサインして、毎年テーマを決めて研究しています。一国ごとに研究・分析した上で、各拠点の研究成果を踏まえて一つのファインディングス(発見)につなげたり。
必ず「アセアン6か国+日本」のメンバーで研究に取り組んでいるのも特徴です。国、言語、宗教など、バックグラウンドが異なるメンバーでの研究は大変ですが、1つの国の研究を現地の研究員だけで進めるのとはまったく違った発見が得られます。これも生活総研アセアンのダイナミズムを活かせている部分だと考えています。
その一方で、各国のローカルクライアントのニーズに応えるため、各国生活者に関するより深い洞察も必要になっています。そこで2021年から、タイ生活者研究に特化したプロジェクトチーム「HILL ASEAN (Thailand)」を立ち上げました。タイのローカルクライアントやローカルメディアに対し「生活者発想の博報堂」「タイの生活者について最も深く理解をしている博報堂」「タイ生活者研究専門のシンクタンク機能まで持っている博報堂」といったメッセージを発信するのが目的です。2021年2月からは「Thailand Consumption Forecast」というレポートをリリースしています。タイの主要6地域の男女1200名の調査に基づく結果を隔月で発信し、タイ生活者の意識を深く解き明かそうと試みています。こちらは、日本の博報堂生活総研が考案した独自の手法で、日本では1993年から実施しています。
──一方、中国の場合は、一つの国と言っても国内に多種多様な文化圏・経済圏がありますね。その意味で、中国における生活者研究の手法など、日本との違いはありますか?
鐘
過去、中国では北京、上海、広州を中心に据えて、それぞれの文化と経済状況に合わせたマーケティング活動を展開することが普通のこととされていました。近年、地域差がどんどん無くなっていると感じます。たとえば、経済発展が進んでいる沿岸都市に対し、内陸都市は常にキャッチアップする存在でしたが、近年、沿岸部と内陸部の経済格差も小さくなっています。さらにデジタルデバイスの浸透によって、1級、2級都市と3級、4級都市の間の情報格差が無くなることによって、消費トレンドの中心が1級2級都市に限らず、3級4級都市でも形成されるケースが増えていると実感しています。
一方で、コロナ禍での国策の影響もあり、中国におけるNEV(新エネ車)市場が急速に伸びています。これに対応するかたちで、生活綜研(上海)は中国NEVユーザーのブランド志向や車に求める価値観などを時系列で比較できる独自調査を行っています。また、グローバルラグジュアリ市場に占める中国生活者の消費額が増大していることと、グローバル平均に比べて若い年齢層の構成比が高いことを捉え、富裕層調査を始めています。今後、随時レポートを発信していくことを計画しています。
また、「明日談」と名付けた先端を行く生活者の研究レポートも発信しています。「明日談」とは、中国の生活者の中で、「今はまだ小さな動きだけれども、これから社会にインパクトを与える可能性のある少しだけ先の未来の「明日の生活行動」を行っている人たち」を洞察し、新しい中国ビジネスのヒントにしていただくためのものです。
──今回のコロナ・パンデミックの影響も含め、生活者の価値観や行動にもさまざまな変化があったと思います。鐘鳴さんが生活綜研(上海)に着任されてからの9年間で感じた生活者の最も顕著な変化とは何でしょうか?
鐘
コロナ禍の影響ももちろんありましたが、ご存じのように中国では感染の封じ込めに比較的早い段階で成功しました。公共交通を利用するときにマスクが必要だとか、海外旅行に行けないとか、もちろん今でも影響は残っていますが、実生活の中で感じる不自由はほとんどないというのが今(2021年10月中旬の取材時)の中国の状況です。
ただ、コロナ禍以前からの変化の潮流としては、2つの大きな要素があります。
1つはさらなるデジタル化がもたらした変化です。中国は他国に比べてデジタル領域ではだいぶ進んでいる面があって、例えばeコマースの普及度の高さがそうです。日常的な買い物でもキャッシュレスが進んで、本当に財布を持たないままで毎日過ごしている状態です。10年前に冗談で「紙幣がなくなる」なんていう会話をしていたのですが、それが今現実に起こりつつあります。
もう1つは、中国生活者のグローバル感覚の変化です。ネット社会になって、中国ではあらゆる情報を簡単に入手できるようになりました。特に、デジタルネイティブと言われている、若者(Z世代)の場合は、外国ブランドと中国ブランドの製品に対する思いに、差がなくなっていることが特徴と言えます。また、近年、中国の「国潮品牌」(※中国発のオリジナルブランド)は若者から支持を得て、人気の高い状況がずっと続いています。その影響は、化粧品をはじめ一般消費財、嗜好品など多くのカテゴリーまでに広がって、中国消費市場全体に対して多大な影響を与えていると考えています。
──伊藤さんの着任は18年でしたね。それからのアセアンの変化についてはいかがですか。
伊藤
アセアンでは、コロナ禍の影響が極めて大きかったと思います。一番大きいのは、私が着任したときに感じたアセアンの人々のパワー、「食べたい!買いたい!遊びたい!楽しく生きたい!」という熱量が、コロナ禍でかなり落ち込んでいることです。各種の消費調査にもそれは表れています。生活者の落ち込み、気の塞ぎ様、フラストレーションが街にあふれていて、こういったことは余程のことがないと起こらない事態だと思うので、個人的にはとてもシリアスに捉えています。
ただ、そういったネガティブな想いやエネルギーをポジティブな楽しみへと変換・昇華させようという機運もあるのも事実です。例えばライブコマースのような、楽しんで買い物できるソリューションが日本以上に人気を集めていたり。これはタイだけではなくアセアン全体に言えることです。
──キャッシュレスの動向については、アセアンではいかがですか。
伊藤
中国と同様、アセアンでも本当に現金を使わなくなりました。スマートフォンやスマートウォッチがあれば、コンビニはもちろん、ちょっとした屋台でもQRコードで決済できるので。お財布のサイズが小さくなったり、持ち歩かなくなった人もいます。若年層だけでなく、老若男女みんながキャッシュレス化に適応しているのが日本と違うところですね。
コロナ禍で衛生環境に敏感になって、現金は誰が触ったか分からないから避けたいという感覚が広がりました。カフェなどでも「現金お断り店」が増えて、それがキャッシュレス化を後押しした面も大きいです。
──この間、クライアントから求められることはどう変わってきましたか。
鐘
広告会社に対するクライアントの期待自体が大きく変わっていると思います。今、最も求められているのは、一言でいうと「データ活用」による課題解決です。中国ではECが爆発的に普及し、生活者の情報行動や購買行動に多大な影響を与えています。ECから得られる購買データであったり、あるいはCRMによる顧客データであったり、そこから何を得て次に何ができるのか。「従来型の広告理論×データ解析・データプログラミング」という相乗効果をクライアントから求められるケースが増えています。広告会社の業務領域も次第にオンライン、EC、ビッグデータを中心とするソリューション提案にシフトしつつあると実感します。
──アセアンはどうですか。
伊藤
アセアンのクライアントの場合でも、ターゲットの主要なタッチポイントがネットで、ソーシャルネットワークの利用率も高いので、最近はすべてオンライン上で完結するようなキャンペーンを求められるケースが多く、最近はそれに対応した提案を頻繁にしている印象があります。
また、マーケティング効率化のためにデータを集めることには興味があるけど、実際にどうやって集めて、活用したらよいかがわからない、という課題を抱えている得意先が増えています。そのため、私たちの方から集積したデータやクライアント内の活用について逆に提案させていただいて、データマーケティングを促進していくというのが最近の傾向かと思います。
鐘
クライアントからの表面的な要求は変わっても、生活者の欲求やインサイトをどう捉えて、それに応えるためにどういうアプローチが最適かと考えて提案するという我々の基本は今も全く変わりありません。その意味では、博報堂の強みへの期待値もその活かし方も、本質は変わっていないと言えます。
──生活総研アセアンと生活綜研(上海)との間では、知見の共有やクライアント事業における連携はあるのですか?
鐘
単なる情報共有や単発的な連携ではなく、共通テーマの研究、共同発表・発信を積極的に行うようになっていますし、もっと強化すべきだと思います。特に、今年の一番大きな生活者研究は、中国では12月に「中国00后世代(2000年以降生まれの若者たち)」、アセアンは、4月に「Z世代」を取り上げていますので、お互いに本質的な議論を続けています。
伊藤
私が一番重要だと思っているのは、「生活者発想」を海外の方々にどうわかりやすく伝えていくか、また各拠点のローカル社員がこのフィロソフィーを業務でいかに主体的に実践できるようにするか、ということです。これは生活綜研(上海)と生活総研アセアンの連合でやるべきテーマなので。まさに今、密に連携して実践的なワークショップを増やしたり、ソリューション開発を進めているところです。
──最後に、お二人の今後の展望や抱負をお聞かせください。
鐘
「広告実務と研究業務の掛け算」というユニークな体験を得られることは、生活綜研(上海)という組織の大きな魅力だと考えています。今後、より多くの社員に体験してほしいと願っています。
また個人的には、生活綜研(上海)いう存在をグローバルでもっと進化させたいです。特に現状の生活綜研(上海)はクリエイティブ部門がないので、将来的にクリエイティブ開発を内製化して、研究内容の表現力を上げていく組織を目指していきたいと考えています。そうすることによって、よりわかりやすく研究内容をクライアントの皆様にお届けできると思います。
伊藤
大きくは2つあって、1つはローカライズです。生活総研アセアンの特徴は「アセアンセントリックのアセアン生活者研究」なので、アセアンのローカルメンバーが自ら運営、研究できるようになるのが理想です。各国の研究員や生活総研アセアンの生活者研究の経験者が、自国の生活者に関する調査やレポートを出すためのサポートなどもしていきたいと考えています。
もう1つは、アセアンだけでなくグローバルのハブ化です。アセアンのプラナー同士の繋がりはできているのですが、それを中国はもちろん欧米や台湾にも広げて、本社も巻き込んでグローバルな取り組みにしていきたいです。コロナ禍のおかげでリモート環境に慣れて、各国メンバーの連合チームでクライアント業務にあたることもやりやすくなりました。それぞれの能力を活かして、グローバルなチームワークで新たな価値提案をしていきたいです。
1998年博報堂C&Dにコピーライターとして入社。
2002年に博報堂に転籍後はマーケティングプラナーとして自動車、嗜好品、飲料、化粧品等、幅広い業界のプラニングに携わる。2012年4月、博報堂生活綜研(上海)の設立とともに上海に駐在。各種研究、講演、ブランドコンサルティング業務などの領域で活動している。
2003年博報堂入社。入社以来マーケティングプラナーとして、トイレタリー、パーソナルケア、コスメ、自動車、飲料、食品、医薬品、教育、アパレルなど幅広いクライアントを担当。
生活者を深く見つめるインサイト発掘起点でのコミュニケーションデザインに加え、商品開発、ワークショップのモデレーター、DMPを活用した業務も多数実施。
2018年4月に博報堂生活総合研究所アセアン(タイ・バンコク)に着任。生活者研究と共に、アセアン各拠点のクライアントサービス、研修によるナショナルスタッフ育成にも従事。2020年4月より現職。