BXラウンドテーブル参加者(五十音順)
*岩嵜博論 武蔵野美術大学 造形構想学部 クリエイティブイノベーション学科 教授
*杉谷陽子 上智大学 経済学部経営学科 教授
*本條晴一郎 静岡大学 学術院工学領域 事業開発マネジメント系列 准教授
*水越康介 東京都立大学 経済経営学部 経済経営学科 教授
*山野井順一 早稲田大学 商学学術院 商学部 准教授
*竹内慶 博報堂 ブランド・イノベーションデザイン局 局長代理
*司会:岡田庄生 博報堂ブランド・イノベーションデザイン局部長
会場 UNIVERSITY of CREATIVITY(UoC)
岩嵜 パーパスが重視される背景は何かという問いは、「従来のビジョンやミッションとどう違うのか」という論点とも関わってきますね。竹内さんは、このあたりどうお考えですか。
竹内 身も蓋もないことを言うと、私自身は「ビジョン」でも「パーパス」でも、呼び方自体はどちらでも良いと思っています。ただ、これだけ価値観が多様化して、正解がわからない時代の中で、「私たちはこういう世界・社会を目指したい」という世界観を企業側からはっきり提示することが不可欠になっているのは確かです。それも一社だけでは実現できないので、仲間が必要です。だから今の企業は「私はこうします」だけでなく、「私たちはこんな世界にしていきたいのですが、ご一緒いただけないでしょうか?」という開かれた提案をしなければならなくなっています。
そうした背景から、パーパスが示す「企業が何を目指すのか」「それをどんな仲間と実践していくのか」という、企業の存在目的のような部分が重視されるようになっているのではないかと。
本條 山野井先生が指摘されていた、主体的でない個人をブランドにどう取り込むかという論点に関わるのですが、ミッションやビジョンから始めると「愛されるブランド」を志向しがちになると思います。しかし反対に「ブランドがあなたを愛します」というパーパスであれば、個人の参加のハードルが下がって、それほど主体的でない人でも受け入れやすくなるのではないでしょうか。
山野井 ブランドが愛してくれるというのは、ブランドが生活者を巻き込んでくれるイメージでしょうか?
本條 例えば、私はアップルの製品を高校生の頃から使っているのですが、私がアップルを愛しているというより、アップルに愛されているような感覚があるのです。仮にユーザー側、生活者側がその企業のパーパスを知らなくても、このように感じさせることができれば、受動的な人々も取り込んでいけるのではないでしょうか。
竹内 「このブランドといるときの自分は好きだ」と思えるようなブランドは、生活者にとってよいブランドだと言えそうですよね。
杉谷 ここまでのお話を総合してみると、「ミッション」「ビジョン」と比べ、「パーパス」はより「結果」を重視しているように思いました。企業がミッションやビジョンに従って行動した結果、世界や生活者がどうなるかまでを含んでいるのがパーパス。パーパスには生活者の幸福感や、企業と生活者の共創が含まれるという竹内さんのお話にもつながりますよね。
ただし、企業側がいいと思ってやったことを、生活者側は嫌うかもしれない。「パーパス」が結果までを含むならば、その点をどうするかは、次に考えなければいけないことであると思います。「ある人には強いブランド、ある人には優しく寄りそうブランド」というふうに、ターゲティングの話にもなっていくかもしれません。
本條 企業のビジョンが何なのかは外からはなかなか想像できませんが、パーパスであれば第三者でも、その企業活動を見てよく考えればある程度想像できそうな気がします。杉谷先生のおっしゃるように、パーパスは結果にフォーカスしていて、相手がどうなったのかに関わっているから、その企業が設定したものと第三者が想像するものの間に齟齬が起こりにくいのかもしれない。両者が共有できるというのは、主語が「I」ではなく「We」になっているという竹内さんのお話とも合致します。
岩嵜 主語が「I」に近い、押しの強いブランドの場合はどうでしょうか? ブランドからやや一方的に与えられている感じもしますが。
水越 おそらく押しの強いブランドにもタイプがあるのだろうと思います。
竹内 そうですね。以前、生命科学の研究者の郡司ペギオ幸夫先生のお話を伺ったとき、「光が強すぎると真っ白に見えるように、押しが極めて強いブランドはいわば白紙と同じで、むしろ生活者の参加できる余地がある」といったことをおっしゃっていました。いわゆるパワーブランドは、強すぎるがゆえに生活者がどう解釈しても揺るがない。生活者の側が参加できる真っ白なキャンバスのような存在なのだと。
岩嵜 なるほど、ブランドに「関わりしろ」みたいなものがあるということですね。
竹内 オープンな姿勢を示して自ら関わりしろを作るブランドもあるし、揺るぎないアイデンティティを持ったパワーブランドは、結果的に関わりしろができている。良いブランドには、そうした例もありそうです。
本條 今のお話に続けると、日本企業のブランドが弱い理由は、関わりしろが少ないからではないでしょうか。多くの日本企業は集団として一丸となって勝利を目指そうとする、いわば軍隊的な組織です。あくまでメタファーですが、軍隊的な組織はものづくりで強い力を発揮する場合があったかも知れませんが、外部からの関わりしろは生まれにくいのではないかと思うのです。その意味で、日本企業のブランドが弱いのは必然とも言える気がします。
ですから日本企業が強いブランド、良いブランドを目指すなら、軍隊メタファーではなく、それこそ一緒にパーティーをしたり、宴会やバーベキューをしたりする集まりのメタファーで企業や組織を考えてみるのが良いと思います。これは軍隊的な組織がメンバーの懇親のために宴会をするという話ではなく、組織そのものを開かれた宴会的なものとして捉えるという話です。そのことで関わりしろのあるブランドが醸成できるのではないでしょうか。
水越 たしかに、日本のクラフトビールメーカーで、まさにパーティーを積極的に活用して、ユーザーを巻き込みながらブランドを作っている例がありますね。同社のビールコミュニティがあって、ユーザーを招いたオフ会を開催したり。コロナ禍でもオンライン飲み会を開催したおかげで、地方や海外の人々も参加できて、新しいブランドイメージが醸成されているようです。日本的な新しいブランディングのあり方かもしれないですね。
杉谷 関わりしろというと、マーケティングの世界では、ユーザーイノベーションなどの形で理解されてきました。その観点から、最近のパーパスの議論を見ていますと、いわゆるラグジュアリーブランドが今後どうなっていくべきなのか、非常に関心を持っています。ラグジュアリーブランドは、排他的であることが一つの売りです。「誰もが持てるものではないけれど、私だけは持っている」というのがその価値の一側面でした。今後そういう世界観をどうブランディングしていくのか、その場合のパーパスとは何なのか、興味深いなと思っています。
岡田 ラグジュアリーブランドがユーザーと一緒に製品開発して「お客さまと一緒に作りました」などと表示した場合、むしろ買いたくなくなってしまうという研究結果もあります。そのブランド品を持つことで得られる周囲への優位性が重要である場合は、それを身近な人が作ったら優位性が下がってしまうと。それはそうですよね。ただラグジュアリーブランドも、いくつかのタイプに分類できるのかもしれません。
山野井 ブランドの形が変わるのであれば、ビジネスのあり方も変わることを想定しなければなりません。ブランドだからといって企業が独占せず、誰でも参加自由でみんなで作り上げるとなったら、それに合ったビジネスの形態があるはずで。サブスクリプションモデルのような、売り切りではないモデルはその一例かもしれません。
岩嵜 パーパスドリブンで、関わりしろがあって、寄り添うようなブランドを目指すときに、ブランドビジネスそのものがどう変わるかという論点ですね。
水越 ここまでの議論で、ちょっと思ったことがあります。冒頭で少し議論したように、「パーパスとは何か?」と直接定義しようとすると、ビジョンとの違いなど明確にしにくく難しい面があるのですが、ここまで出てきたような「パーパスが重視される背景」は、とても考えやすいところがある。デジタル化やサービス化なども含めて、パーパスが求められる社会変化については、いくらでも挙げられそうな気がします。まさに、そういう状況がパーパスという概念を生み出してきたのかなと。
竹内 なるほど。きれい事ではなく、企業の生存戦略として共創しなくてはならないし、aaS(アズ・ア・サービス)にも対応しなければいけない。世界観を示して仲間を集められることが、企業がサバイブしていくために重要で、社会変化の中でサバイブするための戦略としてパーパスを見ることもできますね。
本條 定義の問題で言いますと、生物系では定義というものが非常に難しくて、発生的定義(genetic definition)という方法を用いる場合があります。例えば「種子とは何か」と考えた場合、種子を分解しても本質が見つかるわけではないので、「植物の受精後に胚珠が発達して生まれる……」云々と、プロセスで定義をすることになります。
先ほどの水越先生のお話は、ビジョンは本質的な属性を示すことによって分析的定義(analytic definition)ができるけれど、パーパスは発生的定義しかできない、ということだと考えられるように思いました。BXが求められている社会背景とも結びついて、分解しても本質を見つけることができない時代だからこそ、発生的定義をせざるを得ないパーパスがフォーカスされている、とも考えられます。
岩嵜 面白いですね。それと、山野井先生がおっしゃった「ビジネスはどう変わるか」という議論を一緒に設定しなければいけないということですね。ブランド論と戦略論をくっつけて、両輪で考えていくというか。このラウンドテーブルでディスカッションする意義のあるテーマだと思います。
岩嵜 最後に、パーパスを起点にブランド変革とビジネスの変革をセットで考えるとき、企業はどう変わっていくのかについてディスカッションしたいと思います。
岡田 今日の議論で出てきた、生活者の主体的な参加や、ブランドの関わりしろなども関係してきますね。要は今後、企業側は生活者をどこまでコントロールし、またどこまで自由にさせるのか。またそうっするとき、企業はどんなパーパスを設計していけばいいのか。
水越 杉谷先生がおっしゃった「結果にフォーカスする」という視点で考えると、パーパスをお題目的な、抽象的な話に終わらせず、戦略までつなげていくことは重要になるのではないでしょうか。
それと現実的な問題として、パーパスだけでなく、旧来のビジョンやコーポレートアイデンティティなどもそうですが、企業が頑張って作っても結局社内でもあまり浸透していないケースがよくあります。そうならないようにする必要もありますよね。
山野井 そもそもパーパスって、作ろうと思って作れるものなのですかね。社内に根づかないケースがあるとすれば、無理に作っているというか、自分たちが本当に目指すべき方向でないものが作られてしまっているからではないでしょうか。
岩嵜 これは重要な論点ですね。今までのブランド規定というのは、プロジェクトを立ち上げて、ブランドを作って、ワークショップなどを通じて社内外に浸透させていくというプロセスが一般的でした。でも、パーパスはそうではないという議論があります。おのずと出てくるもの、結果として生まれるもの、というような。しかも掲げるだけでは駄目で、どう実行するかが常にセットになってないといけなくて。
竹内 つまりパーパスは、目的であるのと同時に結果であるという、両方が含まれている概念だと。その通りだなと思いました。その企業が脈々とやり続けてきたことは何かという話と、若い世代と一緒にその企業が社会にどう責任を果たしていくべきかを考えてみようといった未来視点の話。両方をどう掛け合わせられるが、重要ということですね。
杉谷 本来はビジネスを始めるときに目的があるはずで、パーパスがあってビジネスが始まるのかなと思うのですけれど、こうして議論してきた通り、ビジネスをやっていく中で改めてこれがパーパスだと定義されたり、明確化されたりするケースもありますね。
ただ、いずれにしても私は、パーパスは大きな概念で設定されるべきものだと思っています。製品開発であったり、店頭マーケティングや広告であったり、一つ一つの仕事をしていく時、その都度パーパスに照らし合わせることで、「このやり方は自社の方向性として間違っていないかな?」と確認できる。あるいは何か迷ったときには、パーパスがこっちだよと教えてくれる。結果までの全体像を含む上位概念として、パーパスは、当該企業が扱うすべてのビジネスに関わるものであるとよいと思います。
本條 今日は比較的大きな企業を念頭にディスカッションしてきたと思うのですが、スタートアップや中小企業の場合や、ワンプロダクトしかない企業の場合、話はシンプルだと思うんです。おそらく、そのワンプロダクトが社会や生活者にもたらすものがパーパスになっている。でも、プロダクトやサービスの種類が増えたり、社員の数が増えたりしていくと、今日の議論が必要になってくるのではないでしょうか。
山野井 そうですね。仮にパーパスという言葉を使わなくても、おそらく創業者はそれを持っているわけですよね。しかし企業の規模が大きくなり、歴史も長くなって創業者が離れていくと、「何のために存在するのか」が薄れていく。だからこそ、再定義していくことが必要になってくるのでしょう。
水越 【パーパスとは2020年代の企業のありかたの問い直しである】
2020年代に入ったぐらいの頃からの、企業のあり方を問い直す方法が「パーパス」と呼ばれているということかなと思いました。昔から「企業はなぜ存在するのか」問題は常にありますが、それを今の時代に合致した方法で考えることを指しているのだろうと。
これまで自社は何をしてきたのかを問い直しながら、社会的な課題解決や人々の幸福に寄与することに企業としてどう取り組んでいくのか、そうした“今だからこそ”の視点を含めて、これからの自社のあり方を定義し直す。それがパーパスの意義だと感じました。
本條 【パーパスとは、これまで行ってきた企業活動の良い面を材料として定義されるものである】
みなさんとディスカッションした通り、パーパスは事後的にしか定義できないものであり、今まで行ってきたプロセスが反映されているからこそ、その企業独自のパーパスになる。これまでの企業の営みと直接関わるものだからこそ、ブランドにも密接に関わるものである。そういう思いを込めました。
山野井 【パーパスとは再定義をする必要のあるものである】
今日の議論でも出たように、企業がブランドや事業活動を大きく変革するにあたって、自分たちは今まで何をやってきて、これからどういう結果を出していきたいのかを再確認し、再定義する必要があります。そうでないと変革するといっても、どこからどこまでが自社のやるべきことなのかが明確にならない。おそらく企業の創業者たちはパーパスを暗黙的に持っていたと思うのですが、それが徐々に薄れて、分からない人が増えていくわけですね。だからこそ、パーパスが何なのかを必ずもう一度、みんなで再定義しなければならない。そうあるべきものだと考えた次第です。
杉谷 【パーパスとは、今日のビジネスをふりかえるための大ポリシー】
パーパスの下に戦略やブランディングが位置づけられると思うので、それらを実行するときにパーパスに照らし合わせて、自社の方針と合致しているかを確認するための大目標みたいなものだと言えるかなと思いました。一つ一つの企業活動を、常にパーパスに照らし合わせるようにしていけば、ブランドイメージに合わない製品を作ってしまったり、不祥事を起こしてしまったり、企業が誤った行動に向かうことはありません。そういった指針として大切にされるべきものだと考えました。
岩嵜 【パーパスとは、ブランド論と戦略論の融合である】
ずっと悶々としたことが、今日解けたような気がしました。パーパスはブランド論と戦略論との融合であって、どちらか一方ではないのだと。ブランド側から見るだけでも、戦略論のようにコーポレート的な視点で見るだけでも不十分というか。両方を横断的に考えることが重要なのだと、皆さんとの議論の中ではっきり感じることができました。ありがとうございました。
竹内 今日の議論で、パーパスは目的であると同時に結果であること。また結果にも社会的な価値の「ゴール」と、利益などにあたる「リザルト」の2種類があって、パーパスはその両方であるという理解に至ることができました。しかもゴールであると同時にスタートでもあるというか、和語で「来し方行く末」のように、どこから来てどこへ行くのか、その両方を現時点において再定義したものがパーパスなのだと思い至りました。
今日は私自身のパーパスへの理解が深まる大変ありがたい機会となりました。今後、実務を通じてさらに磨いていければと思います。