博報堂でマーケティングを担当している中村信です。1999年に博報堂に入社し、さまざまなクライアントの事業開発や商品開発、キャンペーン戦略や、統合情報戦略に関する業務を多く担当してきました。現在はデジタルを活用したマーケティングの次世代化やソリューション開発、またマーケティング×テクノロジーという視点での研究活動も行っています。本日はよろしくお願いします。
さて、ご存じの通りコロナ禍は私たちの生活やビジネスを大きく変化させてきました。
技術進化もめまぐるしく進み、働き方や暮らし方も変化しています。リモートで開催されるイベントや、飲食店での注文・決済がアプリで完結するなど、非接触型のサービスがごく普通の風景になりつつあり、デジタルトランスフォーメーションが私たちの生活の至るところで起きている。技術進化による生活の革新が始まっています。
たとえば、スマートフォンは当然ながら、スマートウォッチやイヤホン、ヘルスケアデバイスなどネットワークにつながった端末を身につける人が非常に増えていて、その行動や状態がデータで集計されていくといったことが起きています。家の中なら、AIスピーカーやスマートリモコン、ロボット掃除機などを導入する人が増えていますし、家にいる子どもやペットを外から見守れるサービスもある。メニューがネット配信される調理器具のほか、照明器具、洗濯機などまでIoT化されていっています。街に目を向けると、IoTやセンサー、AIなどを使って交通やエネルギーの最適化を行い社会課題の解決を目指すスマートシティの構想がいろんなところで始まっています。スマートカメラやセルフレジを導入した店舗も増えていますし、ネットワークにつながった移動式スーパーや病院といったものも登場していて、かつて不動産だったものが街の中を動き回る動産になっていくような世界も近づきつつあります。自治体のDXも進んでいくでしょう。都市の暮らしはこれから大きく変わっていき、都市OSといったものも生まれてくると考えています。
つまり、テクノロジーの進化によって、生活者の周りにある、あらゆるものがデジタル化され、ネットワークにつながっていく、オール・デジタル化がこれから、すごいスピードで起きていくのです。これまでがPCやスマホを中心とした情報のデジタル化であるならば、これから確実に起こるのは生活のデジタル化です。新たな生活が、驚くような形でデザインされていくことでしょう。これは同時に、モノと生活者との関係が大きく進化することにもつながります。モノについたカメラやセンサーが私たちの動き、表情などをデータとして収集し、それをAIが解析してより便利で快適なサービスを提供するといったように、これまで私たちの周りに置かれているだけだったモノが、デジタル化しネットワーク化されていくことで、生活者とのやりとりをする存在に変わっていくのです。モノと生活者がやり取りをする双方向の関係になっていき、そこから新しい生活者価値がさまざまな形で生まれていくのです。
モノがネットワーク化し、生活者のニーズをデータの形で把握すると、それを企業側が解析することでより最適化されたサービスを生活者に戻していく。ニーズを把握して分析し、最適化したモノを戻すという、このやり取りが繰り返されることで、生活者個人あるいは、家族、社会の課題の解決までもが、進化したモノと生活者との間で実現していくのではないでしょうか。
たとえばデジタル教材ならば、教材がネットワーク化されたことで、生徒たちがいまどこでつまずいているのか、あるいは得意なところはどこかなどが、データで把握できるようになります。そのデータを活用することで、それぞれの生徒に合った、よりきめ細かな教育が提供できるようになる。ニーズの把握によって、“アダプティブラーニング”、つまり学習方法の最適化が可能になるのです。これは、学ぶことが多すぎて授業についていけないとか、新科目への時間がとれないといった教育現場の課題を解決するだけでなく、教育にかかわる企業にとっての新たなビジネスチャンスにもなります。教材を売って終わりという売り切りのビジネスから、お客様との継続的な関係づくりを目指すサブスクリプションのようなビジネスへと変わっていくのです。自社製の教育ソフトウェアを外販する企業も出てくるでしょう。モノの進化によって事業のあり方、経営も大きくチャンスが広がっていきます。
この進化は産業全体にも影響を与えます。生活者の移動というニーズに対しサービスの最適化が進めば、自動車や鉄道、飛行機といった異なる業種の“きわ”がなくなっていき、MaaSのようにそれらを統合する最適移動サービスが生活者に向けて提供されていきます。そして、人とモノだけでなく、モノとモノ、産業と産業も新たにつながっていく。健康管理・改善サービスにおいても、これまで別々だった健康器具メーカー、飲料・食品メーカー、トイレタリーメーカーなどがつながり、寿命100年時代に合わせてより大きな健康価値を提供していくことも大いに考えられます。産業もまた、生活者を中心にさまざまな形で最適化され連合が組まれて行くのです。このように産業の垣根がなくなっていくことで、まだ世の中にない大きな生活者の価値、体験が生まれていく可能性があり、これからの企業はこれまでの産業の枠にとどまらない、生活者にとってのより大きな価値は何かを考え、手を出していくという、大きな構想力が求められるようになると考えます。
モノの進化によって生活者とモノの接点が大きく変動し、やり取りが始まる。
そしてそれは、単なるフレームの接点ではなく、インターフェースに進化していく。このやり取りの場にこそ、新しい価値、新しい生活が生まれてくるのだと思います。生活者とのインターフェースの設計次第で、生活者の暮らしは大きく変わります。うまく設計できれば、大きな収益が生まれていくでしょう。生活者とのインターフェースに何を創造していくか、そのデザインこそ、これからの企業活動には必須となっていきます。
我々はこのインターフェースの広がりを「生活者インターフェース市場」と呼び、人とモノとの境界線から新しいビジネスを伴う市場が、さまざまな形でこれから生まれていくだろうと考えます。
この生活者インターフェース市場を制し、企業の成長フィールドにするために必要なこととは何でしょうか。
一言でいうならば、価値創造への取り組みということになります。生活者との接点においてデジタル化、ネットワーク化が進むことで、企業はこれまで以上に詳細に生活者のデータが見られるようになります。そのデータをより効率的なマーケティングに活用することも重要ですが、それだけでは生活者インターフェース市場の可能性を十分に活かしているとはいえません。生活者とのやり取りを通じて、新たな価値を創造し、企業と生活者の新しい関係、エモーショナルな関係を築いていく。その可能性に気付き、価値創造型のDXに取り組む企業やブランドが、いま増えてきています。
たとえばNIKEでは、シューズなどの商品に加え、ランニングアプリやトレーニングアプリといったさまざまなデジタルサービスを提供しています。その理由は、商品の購入につなげることだけがゴールではないからだそうです。アプリを通して実現したいのは、スポーツに関心を持ってもらうこと。スポーツをする人を増やすという狙いがあるのです。ランニング仲間が増えて笑顔になったり、距離やタイムを競い合い、励まし合う。シューズを売るだけではなく、走る喜び、楽しさを加速させるような、スポーツライフを変えていくような価値あるサービス、そして心を動かす体験の提供を通じ、ナイキは生活者との新しい関係構築を実現しています。これこそまさに価値創造型のDXではないでしょうか。ちなみにナイキによると、同サービスを2つ以上使っている顧客はそうでない顧客よりも4倍ものライフタイムバリューがあることがわかっているそうです。さらにコロナ禍において、グローバルで7000万人という数の生活者と新たにつながったそうです。
博報堂においても、価値創造型DXの業務が増えつつあります。
たとえば、ドライバーの高齢化、免許返納・移動難民、公共交通の赤字といった深刻な地方の移動問題に取り組んだ、MaaSにおける価値創造の例があります。テクノロジーを使えば、ある程度は効率的な移動を可能にする便利なサービスを実現できるでしょうが、それだけで本当に高齢者、地方の問題は解決できるのだろうかと考えた結果、「コミュニティモビリティ」という発想にたどり着きました。そして、地域に昔からある、「ついでに乗っていって」という“ついで送迎”をデジタルサービスで実現したのが、「ノッカルあさひまち」。具体的には、クルマを持つ地域のドライバーが高齢者の外出をサポートするというもので、自動車メーカーのスズキ様と連携して提供しています。移動だけではなく、お互いに支え合う地域のコミュニティをデジタルの力で現代にデザインする。単に外出するだけではなく、ドライバーと乗る人との間に信頼や絆を築き、愛される公共交通にする。そういったことを目指して、サービス設計を行いました。実際に「10年ぶりに外出したよ」という声や、「地域のドライバーだから安心して乗れる」という声、またドライバーが「ノッカルさん」と呼ばれ、地域の人気者になったという報告が届いています。このように、便利なだけでなく、それ以上に出かけたくなるサービスをつくることこそ、デジタルによる価値創造だと考えます。
また、コロナ禍でお客様がリアル店舗に来ることが難しくなった、という企業からの相談も増えています。チャットの接客やウェブの相談サービス、ARのお試しサービス、アプリの診断サービスなども出てきていますが、それらは本当に、お客様がリアル店舗で感じていたような買い物のワクワク感だとか、試着する楽しさといった体験を提供できているだろうかと我々は考えました。そこで博報堂グループが開発したのが、「じぶんランウェイ」というバーチャル試着サービスです。自分の身体を3D スキャンしてアバターをつくり、その自分の分身が、服を着てファッションモデルのようにランウェイを歩く。その姿をさまざまな角度から見て楽しむことができるというサービスです。便利以上の、楽しいとかワクワクするといった買い物の体験の本来の価値を、デジタルにより実践することを目的にしています。リアル体験を超えて、デジタルだからこそできる、心を動かす買い物体験をつくることで、生活者とのエモーショナルなつながりをつくれるのではないかと考えています。
こうしたデジタルサービスに代表される価値創造型のDX以外にも、さまざまな価値創造の業務が博報堂では生まれています。データを高度に活用することで生活者を深く理解し、ニーズを満たすような価値創造。テクノロジーを活用した事業・産業の創造といった価値創造。効率化を超えたさまざまな価値創造がいま現場で生まれています。博報堂は、効率化はもちろん多くの企業から求められるこの価値創造のDXを、いま強力に進めている最中です。
価値創造型のDXを実現することができれば、ブランドのありようも大きく変化するでしょう。生活者との接点がインターフェース化し、常時双方向の関係性、やりとりする場になっていく中で、その変化の意味を理解し、新たな価値創造を成し遂げたブランドは、生活者とのより深い関係をこれから築いていくことになります。そしていままでにない強いブランドになっていくと我々は考えます。従来の広告によるブランディングだけではなく、デジタルを活用した市場開発やサービス開発も含めて、生活者との新しい、エモーショナルな関係をデザインしていく。そういうブランドの変革がこれから非常に重要になってきます。博報堂はそれをブランド・トランスフォーメーションと呼び、クライアントの皆様にご提案を始めています。
価値創造型のDX、そしてその先にあるブランド・トランスフォーメーションを実現するためには、データやテクノロジーといった高度な専門性に加えて、生活者の心を動かす創造性の掛け算、つまり、データ・テック×クリエイティビティが必要になってきます。データやテックの活用においては、博報堂ではAI技術はもちろん、メタバースなど価値創造につながるさまざまなテクノロジーの研究を自社および外部のテック企業と共同で進めており、その過程で生まれた新しい技術やソリューションをクライアントの皆様にご提供しています。そのうえで、何より私たちが大切にしているのは、データやテックにクリエイティビティを加えること。「ノッカル」の事例でも、単にテクノロジーを使って便利なサービスをつくるのではなく、人と人との絆や昔から大切にされてきた文化などのアイデアを加えて、高齢者が楽しく安心して外出する、あるいは外出したくなるような気持ちが生まれるデジタルサービスを実現しました。
いま求められているのは、効率化、便利以上のことです。
若者が本当にドキドキするのか。高齢者が笑顔になるのか。心を動かすことができるのか。何より、それを提供している企業に、生活者からの新たな愛着が生まれているのか――。クリエイティビティがあるからこそ、それは実現できることだと思います。データとテクノロジーにクリエイティビティを掛け算することで、私たちは価値創造型のDX、ブランド・トランスフォーメーションが実現できると信じています。
デジタルにより企業、生活者を取り巻く環境はこれからも激変していくでしょう。私たちが提唱する、常時接続された双方向の「生活者インターフェース市場」も、これからますます活性化していくでしょう。生活者の心を動かす新しい価値を提供し、この市場を企業の皆様の新しい成長フィールドにすべく、博報堂はこれからもクリエイティビティと生活者発想に磨きをかけて行きたいと思います。
1999年博報堂入社。様々なクライアントの事業・商品開発やキャンペーン戦略に従事。特に、統合情報戦略に関する業務を多く担当し、マス~WEBまで一貫したコミュニケーションをデザインしてきた。現在は、CMP推進局(CMP:Customer Management Platform)で、デジタル、データ、システムを活用したマーケティングの実践、ソリューション開発を行っている。
・iMediaBrandSummit登壇
・adtechTokyo「モバイル広告の未来」「スマートフォン&タブレット革命」公式セッション登壇
・日本マーケティング協会「マーケティング・マスターコース」モバイルセッション講師
・共著「超図解新しいマーケティング入門」