入山 章栄氏
早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール 教授
吉澤 到
博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室 室長/エグゼクティブクリエイティブディレクター
吉澤
博報堂ミライの事業室が発足したのは3年前です。その室長を任されてから、正解のない中で試行錯誤を繰り返してきました。入山先生がかねてからおっしゃっている「両利きの経営」、すなわち「知の深化」と「知の探索」の重要性を日々痛感しています。新規事業創出に求められるのは、とりわけ「知の探索」であると思います。この考え方を、あらためてご説明いただけますか。
入山
変化の激しい時代にあって、イノベーションを起こすことは会社存続の条件です。イノベーションとはこれまでになかった新しい価値であり、それは既存知と既存知の組み合わせによって実現します。人間は、まったくのゼロから何かを生み出すことはできません。すでにあるものを利用することが新しいものを生み出す唯一の方法です。
しかし、人間の認知には限界があります。多くの場合、人は自分の目の前にあるものだけを見ようとします。その限界を超えて、イノベーションにつながる可能性のあるものをあらゆるところから見つけ出し、それらを組み合わせてみること。それが「知の探索」です。探索の結果、うまくいきそうな組み合わせが見つかったら、それを深めて、磨き込んで、事業につなげていく。それが「知の深化」です。
知の探索と知の深化はどちらも重要ですが、一般に会社組織の構造は、知の深化にかたよる傾向があります。得意領域を深掘りするという方向ですね。しかし、企業活動をサステナブルなものにしていくためには、知の探索と知の深化を上手に両立させていくことが必須です。それができている日本企業は、必ずしも多くはありません。
吉澤
知の探索を進める一つの方法として、オープンイノベーションがあると思います。大企業と大企業、あるいは大企業とスタートアップの連携がこの数年でかなり進んできたと感じています。ミライの事業室では「チーム企業型事業創造」という、大企業やスタートアップ、行政、大学など多様なプレイヤーとのオープンイノベーション型の事業開発を進めています。
入山
国内でも確実に進んできていますよね。しかし、海外と比べるとまだまだではないでしょうか。大企業同士の連携は、言ってみれば「オープンイノベーション1.0」です。スタートアップや外部の多様な人材を巻き込んで、「オープンイノベーション5.0」くらいのレベルを目指していかなければならないと思います。
入山
オープンイノベーションを高いレベルで目指すためには、社会的な課題や明るい未来社会など、互いに共感できるビジョンを掲げることが重要です。幸い、若い人たちの意識は変わってきています。今の20代は二極化していると僕は捉えています。都市部の学生たちの意識は、起業や社会問題の解決に確実に向いています。お金儲けよりも、面白いこと、世の中の役に立つことをやりたい。そんな意識です。
東大の学生を対象とした就職人気企業ランキングを見ると、以前と変わらず上位は軒並み外資系コンサルティング会社か外資系金融会社が並んでいます。しかし、その内実は以前と異なり、本当の第一志望は起業です。すぐには起業できないから、最初のステップとして外資系に入ってスキルを身につけようとしているわけです。そうした若い人たちが次々とスタートアップを立ち上げ、多くのプレイヤーを巻き込んでいき社会や生活をより良くしていってくれるに違いないと、僕は大いに期待しています。
一方、地方の学生の多くはスーパー保守的です。就職の第一志望は公務員、第二志望は地銀、第三志望は地域の電力会社です。先が見えないので、みんな安定性を求めているということです。そして、その二極のはざまにいて、どちらに行っていいかわからない人たちは、日本の大企業を選ぶ。大企業にお勤めの皆さんにはたいへん失礼な言い方になりますが、そのような傾向があると僕は考えています。
吉澤
博報堂もその一員ということですね(笑)。そんな私たち企業が手を組み、大企業がもつアセットと博報堂がもつクリエイティブティの力を掛け算して、新しいものを生み出すことを目指す。そんな取り組みを具体的に進めるべく、博報堂とクライアント企業が一緒にジョイントベンチャー(JV)をつくる動きを進めてきました。これまでのところその取り組みは順調に進んでいます。一つのチームでいわば同じ船にのって、それぞれのノウハウを共有できていると感じます。
入山
それは素晴らしいですね。JVには、それぞれが自分の会社の流儀を持ち込むことで、ちぐはぐな関係になってしまうことが往々にしてあります。そのような課題はありませんか。
吉澤
そこには非常に気を使っています。役割をあえて分けずに、一つの部屋で毎日顔を合わせてワンチームになることを目指しています。結果として、それぞれの企業のメンバーからいろいろなアイデアが自由に出てくる環境ができています。
入山先生にお聞きしたいのは、どういうアイデアを出すべきか、あるいはどういうアイデアに着目すべきかということです。博報堂の本業は広告マーケティングの領域です。その周辺でアイデアを探索すべきなのか、それとももっと遠くまで飛んでいくべきなのか。入山先生はどうお考えですか。
入山
いいご質問ですね。答えは後者、つまり遠くまで飛んでいって、面白いことなら何でもやってみる。それが基本的な方向性になるべきだと思います。唯一基準があるとすれば、会社ないしは部署のビジョンです。遠い未来を見据えて、我々はどういう未来を目指していくのか。その方向感は絶対に必要です。「つくりたい未来」があって、それに資するものを生み出していくという考え方です。
多くの企業が新規事業創出に失敗するのは、ビジョンがないか、あってもそれを本気で信じていないからです。例えば「ウェルビーイングを実現する」というビジョンがあるなら、すべてのチャレンジはその実現に資することが目的になります。ビジョンがない中で新規事業を成功させようとしても、成功するはずはありません。
吉澤
よくわかります。ミライの事業室を立ち上げたとき、僕たちはとても悩んで、拠りどころを求めました。博報堂には「生活者発想」というフィロソフィーがあります。それが私たちにとっての重要な拠りどころとなりました。生活者一人ひとりが自分らしく、いきいきと生きていける社会を実現する──。その大きなビジョンがあると、発想の幅が確実に広がります。おっしゃるように、ビジョンがあることによって、より遠くまで飛んでいくことができるのだと思います。
入山
僕は最近、ビジョンは名詞や形容詞ではなく、動詞で表現されていた方がいいとよく言っています。動詞で表現されていると、行動に結びつきやすいからです。事実、欧米のグローバル企業の多くは、ビジョンを動詞によってあらわしています。「生活者発想」は素晴らしいフィロソフィーだと思いますが、では生活者をどうしたいのか。それを動詞で表現できるようになると、アイデアの幅がさらに広がるように思います。
吉澤
グローバル企業はビジョンやパーパスを表現するのが非常に上手であると以前から感じていましたが、動詞を使っているというのがその一つの理由なのですね。
入山
そう思います。動詞になると、ビジョンの内容が腹落ちするんですよね。遠い未来に向けた方向性についての腹落ちがないと、どこに投資していいかもわからないので、イノベーションは起きません。
イノベーションを起こすポイントは、数年後ではなく、20年、30年先のことを考え、一つ一つの投資単価を小さくして、たくさんの弾を撃つことです。新規事業はご存知のようにほとんどが失敗するのですが、こつこつチャレンジを続けていけば、たまに手ごたえを得られることがあります。そのようなテーマが見つかったら、その事業への投資を一気に増やして、スピーディに「知の深化」の段階に事業を進めていく。それが多くのグローバル企業が取り入れている戦略です。それが可能なのは「未来への腹落ち」があるからです。
吉澤
そのような戦略のもとでは、企業のビジネス領域やビジネスモデルもどんどん変わっていくわけですよね。欧米のグローバル企業と日本企業の大きな違いは、「会社は変わっていくものである」という認識にあるような気がします。
入山
変化は企業活動の大前提です。安定したROE(自己資本利益率)をコンスタントに出している優良なグローバル企業の多くは、事業分野を時代に応じて変えています。小規模な新規投資を繰り返して、そこからヒットするものを見つけ、それを成長させて売却する。つまり、事業ポートフォリオの中身を常に刷新していく。そのサイクルが企業活動を活性化させているわけです。博報堂全体では難しいとしても、ミライの事業室でそれにチャレンジすることは可能ではないでしょうか。未来へのビジョンの旗を立てて、たくさんチャレンジして、たくさん失敗する。それを繰り返す以外に、成功への道はないと思います。逆に言えば、成功するまで歩みを止めずにチャレンジし続けることが成功への近道だと考えています。
吉澤
人材についての考え方についてもお聞きしたいと思います。イノベーションを生み出す人材を求めるときに、社内人材を育成すべきなのか、それとも外部の起業経験者を呼び入れるべきなのか。その点はどうお考えですか。
入山
まず、人材を社員と外部人材に分けるような考え方を変えるべきでしょうね。人材が盛んに流動している企業には、誰が社内で誰が外部かという意識はありません。そのことをご指摘した上でですが、やはり外部人材を起用するのが現状ではベターなやり方だと思います。理由は3つあります。社内人材には、第一に知の探索の経験がないこと。第二に、「決める」経験がないこと。第三に、決めたことを行動に移す経験がないこと。その3つです。
とくに重要なのは、2つめです。変化の激しい時代には、正解はどこにもないわけですが、それでも数ある選択肢の中から何を選ぶかを決める必要はあります。組織のリーダーの仕事は、決めることだと言ってもいいと思います。そして一度決めたら、それを周知徹底して、絶対にやり抜くことです。
一方、大企業においては、そのような決定が一般社員に委ねられることはほぼありません。だから、決める能力を磨くこともできないわけです。決める能力を磨く方法は簡単です。「決め続ける」こと、「決める場数を踏む」ことです。ビジネススクールで決める能力を身につけることができないのは、実践から学ぶしかないからです。スタートアップの経営者は、1日のうち最低でも3回くらいは何かを決めなければなりません。1年で1000回、5年で5000回です。一方、大企業の一般社員の多くは、何年経っても決める経験を積むことができない。その差は歴然としています。
吉澤
たいへん納得のいくご指摘ですね。一方で、外部から人材を招き入れる際の問題は、異なるカルチャーがミックスされることで、組織がばらばらになってしまうことだと思います。その点についてはいかがですか。
入山
それも非常に大切なポイントです。ビジョンと同じくらい重要なのがカルチャーです。カルチャーはすべてのメンバーが共有しなければなりません。
先ほどお話ししたように、イノベーションとは知と知の組み合わせによって生まれます。多様な知の組み合わせをつくるには、多様な人材を集めること、つまりダイバーシティが必要です。しかし、ダイバーシティが進めば進むほど、組織内のコミュニケーションは難しくなります。例えば、会議でさまざまな異なる意見が飛び交うので、なかなかまとめられないという問題が起こります。
そこで重要になるのが、ビジョンやカルチャーです。意見が異なっても、ビジョンやカルチャーを共有していれば、大きな方向性では一致できます。向かうべき方向性や、そこに向かう方法、考え方については、誰もが大枠で同意できるわけです。ダイバーシティが実現している組織とは、50代のベテラン社員の意見が却下され、20歳そこそこの若者の意見が通る可能性がある組織のことです。50歳の社員が自分の意見が通らなかったときに、「我々が目指している方向から考えれば、若い社員が言っていることには確かに理がある」と納得できるのは、ビジョンやカルチャーがあるからです。ダイバーシティは、ビジョンやカルチャー抜きでは絶対に実現できない。そう言っていいと思います。
吉澤
博報堂は自由で風通しの良いカルチャーが根付いていて、若手だとかベテランだとかの区別なく良いアイデアや意見は尊重される傾向があります。そうした元々あるカルチャーを土台としながら、多様な考え方を取り込んで、組織をダイナミックに変化させ続けることが重要なのだと感じました。
(後編に続く)
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で、主に自動車メーカー・国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2008年 に米ピッツバーグ大学経営大学院より Ph.D.(博士号)を取得。同年より米ニューヨーク 州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。 2013年より早稲田大学大学院早稲田 大学ビジネススクール准教授。 2019年より教授。専門は経営学。
「Strategic Management Journal」など国際的な主要経営学術誌に論文を多数発表。著書は 「世界標準の経営理論」(ダイヤモンド社)、「世界の経営学者はいま何を考えているのか」 (英治出版)「ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学」(日経 BP 社) 他。 メディアでも活発な情報発信を行っている。
東京大学文学部卒業。ロンドン・ビジネス・スクール修士(MSc)。
1996年博報堂入社。コピーライター、クリエイティブディレクターとして20年以上に渡り国内外の大手企業のマーケティング戦略、ブランディング、ビジョン策定などに従事。その後海外留学、ブランド・イノベーションデザイン局 局長代理を経て、2019年4月、博報堂初の新規事業開発組織「ミライの事業室」室長に就任。クリエイティブグローススタジオ「TEKO」メンバー。
著書に「イノベーションデザイン~博報堂流、未来の事業のつくり方」(日経BP社)他