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DXの先にあるもの ―ブランド起点でDXを捉え直す|武蔵野美術大学 岩嵜博論氏(BXラウンドテーブル 研究者寄稿⑤)

2022.09.29
#BX#ブランド・トランスフォーメーション

全9回の「BXラウンドテーブル」に参加された5名の研究者の方々に、それぞれの専門の観点から、BX(ブランド・トランスフォーメーション)に対する考えを寄稿していただきました。

岩嵜博論氏
武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科 教授
博報堂においてコンサルティングや新規事業開発に従事した後、武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科に着任。ストラテジックデザイン、ビジネスデザインを専門として研究・教育活動に従事しながら、ビジネスデザイナーとしての実務を行っている。著書に『機会発見―生活者起点で市場をつくる』(英治出版)、共著に『パーパス 「意義化」する経済とその先』(NewsPicksパブリッシング)、監訳に『PUBLIC DIGITAL(パブリック・デジタル)――巨大な官僚制組織をシンプルで機敏なデジタル組織に変えるには』(英治出版)など。イリノイ工科大学Institute of Design修士課程修了、京都大学経営管理大学院博士後期課程修了、博士(経営科学)。

DXの先にあるもの ―ブランド起点でDXを捉え直す
岩嵜博論

ブランドのレンズで変革の先にあるものを見る

BXラウンドテーブルでの議論を終えて、改めてこの議論を振り返ると我々が行ってきたのはブランド起点でDXを捉え直すということだったと思う。巷ではDXの議論が溢れている。書店にいくと表紙に「DX」を冠した書籍が平積みされているのを見かける。日本の社会は「デジタル」に対してある種のコンプレックスを持っていたのだろうかという思うほど、デジタルに対する過剰な期待が渦巻いているようにも見える。
一方で、その影に隠れてしまっているのがもう一つの「X」の方。すなわち、トランスフォメ―ション(変革)の方ではないだろうか。DXというコンセプトが本来意図していたのは、変革のためのツールとしてデジタルを活用するということだ。ツールとしてデジタルを使うということも大切だが、それ以上に、どのような変革を行っていくかにも焦点を当てるべきだろう。
そういった観点で今回のBXラウンドテーブルは有益な議論であった。DXの先にあるBX(ブランド・トランスフォメ―ション)という議論は、DXの変革の先に見えるものを問う試みであったからだ。デジタルというツールは前提としつつ、その変革の先に見える新しいビジネスのあり方について、博報堂の実務家と研究者の皆さんで議論を進められたことは貴重な機会であった。
変革の指針として「ブランド」を冠したことも議論の道標となった。ブランドは企業や事業、製品・サービスにおけるアイデンティティのあり方に起源を持ち、多岐に渡る広がりを持つようになった経営コンセプトだ。その広がりは、パーパス、組織、ビジネスモデル(プロセス)、商品・サービス、コミュニケーション、そしてもちろんデータやテクノロジーといった今回のラウンドテーブルにおける議題の領域に広がっている。
今回の取り組みは、拡張するブランドというレンズで変革の先にあるものを見に行ったということだと思う。その先に見えた世界を一言でいえば、本質を伴った変革ということではないだろうか。その企業や事業、製品・サービスの本質的な価値とは何かを見据えた上で、デジタルの力でビジネスを変革し、加速する。まさにブランドというコンセプトが示す変革の可能性だ。

本質を伴うデジタル変革で成長を遂げる企業

企業の本質的な価値を見失うことなく見事なデジタル変革を遂げた企業としてThe New York Times(NYT)の事例を紹介する。デジタルネイティブというよりは、歴史のある事業をBX的に本質ともに変革した事例であり、日本企業の参考にもなるだろう。NYTというと皆さんどんなイメージをお持ちだろうか。伝統的で権威的な新聞社というイメージかも知れない。実はNYTはここ数年で見事に変革を遂げたデジタル企業として注目されている。
まず驚くのはデジタル版新聞のプロダクトとしての先進性だ。日本の新聞社が提供するデジタル版の新聞は、紙の新聞紙面をデジタルで見ることができるものや、個別のニュースをスクロール状のインターフェースで見ることができるアプリなどではないだろうか。NYTのデジタルプロダクトは、紙の紙面をそのまま提示するのではなく、デジタルに特化した見せ方でコンテンツを展開する。動画や高度なインタラクティブコンテンツなども充実している。さらに驚くのは、1851年の創刊年から現代に至るまでの全ての紙面を閲覧できるTimesMachine というサービスも併せて提供していることだ
NYTのデジタル変革を推進するのは経営そのものだ。現在NYTをリードするのはCEOのMeredith Kopit Levien氏 だ。Forbesを経て2013年にデジタル広告の専門家としてNYTに参画。デジタル系スタッフの採用を強化し、デジタル広告とサブスクリプションの売上に貢献した。2017年にはCOOに着任、製品・サービスのデジタル化やブランディングも担当するようになり、2020年にはCEOになった。Meredith Kopit Levien氏は、CEO着任時40代後半だったと言われている。170年を超える歴史を持つ伝統的な新聞社のトップがデジタルのバックグランドを持つ40代の女性だったということはNYTが組織としてデジタル変革を進めていることの何よりの証左だろう。
NTYは一方で、NYTのブランドとしての本質を忘れていない。それどころかより強固なものにしている。例えば、NTYはジャーナリストの離職率が低いことで知られている企業だ。NYTのジャーナリストであることが名誉であり、最後に目指すべき理想の職場として認識されているためだという。NYTはそのポジショニングを維持するために、記事の質を高め、ほぼ全ての記事を署名記事として公開している。デジタル版では、記者のプロフィールを見たり、記者ごとの記事を見ることもできる。こうした取組みもあって、NYTは記者を始めとしたステイクホルダーを惹き付ける存在であり続けている。

ブランドを起点に変革を推進する

こうして見ると、NTYは質の高いジャーナリズムを提供するという本質を強化する形でデジタルによる変革を行ってきたことがわかる。インタラクティブコンテンツや動画も交えた質の高いジャーナリズムはデジタルの力なくして実現できなかっただろう。記名記事から記者のプロフィールのリンクを付け、記者ごとにソートされた記事を提示できるのもデジタルだからこそ実現したものだ。150年を超える紙面のアーカイブを格納することもデジタル版ならでのサービスだ。こうした全てのデジタル変革がNYTというブランドをその本質を維持しながら新しい次元に進化させていることが驚きだ。
NYTにおいてこうした変革は新聞というプロダクトのデジタル化だけにおいて局所的に起こっているわけではない。CEOを始めとしたマネジメントチームがコミットする形で経営の革新も進めている。NYTは先日ジャーナリストのトップである編集主幹の8年ぶりの交代を発表した 。新たに編集主幹となるJoseph Kahn氏はNTYのデジタルシフトを進めた功績が評価されたという。まさにジャーナリズムの質とデジタル変革を兼ね備えたリーダーの人事だ。
NTYのマネジメントチームは、企業全体のデジタル変革を加速するためのM&Aも進めている。過去1年間の間に、SNSで人気の単語当てゲームWORDLEとスポーツ情報専門サイトのThe Athleticの買収を立て続けに行った。NYTは2つのサービスから流入する新規購読者の増加を狙っている。先日発表された2022年第一四半期の決算では売上高が前年同期比14%増、電子版の購読者も17%増え615万人となった。2027年には1500万件の有料購読者を目指す 。
NYTの変革に見られるDXの先にあるBX(ブランドトランスフォメ―ション)とは何だろうか。NYTで起こっているのは、ブランドという梃子を用いたデジタル化を中核にした変革だと言えるだろう。NYTが本来持っている本質的な価値とは何かを深く捉え、その本質を強くするともとに企業として新たな成長を導く価値創造を行っている。
この変革においてブランドや本質的価値の議論がなくして、単なるデジタルを手段とした効率化だったらNYTの現在の姿はどのようなものだっただろうか。ユーザーが各記事にコメントできたり、記事のシェア機能などが強化されていたかも知れない。現状のNYTにはコメント機能はなく、シェア機能も最低限のものに留められている。なぜならこれらは良質なジャーナリズムを読者に届けるという本質から脇に逸れてしまうことだからだ。
拙著『パーパス 「意義化」する経済とその先』 でも述べたが、企業はこれまでの機能の差別化、体験の差別化に加え、意義で差別化する時代がやってくる。その時に問われるのは何のためにそのビジネスを行っているのか、というパーパス(=企業の社会的存在意義)だ。パーパスがビジネスを駆動する時代において、企業の本質であるブランドを起点にした変革を推進できている企業は強く、持続的な成長を成し遂げることができるだろう。NYTのブランド起点の変革はそんな未来のビジネスの姿を示しているのである。

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