博報堂人が、社会テーマや旬のトピックスを題材に、生活者の暮らしの変化を語る対談企画「キザシ」。第七回目は、ゲストに新進気鋭の落語家・春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)師匠を迎えました!師匠のファンでもある博報堂ブランドデザインの竹内慶(たけうち・けい)が、対談を通じて「日本的な発想法」のヒントを模索します。
竹内:僕の落語との出会いは小学生の頃で、父親が買ってきた落語のカセットテープがきっかけです。中でもいまだに覚えているのが、柳家小三治師匠の「金明竹」と「天災」が入ったものと、三代目三遊亭金馬師匠の「真田小僧」と「寝床」の入った2本。擦り切れるほど聞きました。
一之輔(敬称略、以下同):小学生の時ですか。でも、その出会いの二つ、いいですね。子どもにもわかりやすいし。
竹内:それから落語っておもしろいなと思い、聞いていたのですが、数年前に一之輔師匠を知って以来、ハマってしまいまして(笑)。
一之輔:ありがとうございます。
竹内:この場を借りてファンであるということをお伝えしつつ、自己紹介させていただきますと、僕は「博報堂ブランドデザイン」という部署に所属して、企業や商品のブランドをつくるお仕事をさせていただいています。僕らはブランドを「社会にとって意味のある、魅力的な個性」、一言でいうと「らしさ」みたいなものと捉えているのですが、そう考えて仕事をする中で、欧米発祥のブランディングに対して日本ならではのやり方みたいなものがあるんじゃないか、日本ならではの発想法みたいなことが生かせないかという思いがあり、ここ数年模索しております。そして、落語にそういう日本的な発想のエッセンスやヒントがたくさんあるんじゃないかと思っておりまして、ぜひ師匠にお話をうかがえればと思っておりました。
個性ということでは、以前から気になっていたことがありまして、師匠の落語に聞き入っていると、熊さん八っつぁんという登場人物がぐーっと前に出てきて、師匠という人が消えてしまう気がするんですね。ところが聞き終わってみると、一之輔師匠でしかない唯一無二の落語が残っている。そのことを思うと、「私」が消えてしまうにもかかわらず個性的ということはどういうことなんだろうと。
一之輔:「話が腹に入る」って、よく言うんですけどね。何度もやって、落語に出てくる人の気持ちとか、すんなりわかるようになると、覚えた台詞ではない、違う台詞を喋り出すこともあるんですよね。
竹内:そうなんですか。
一之輔:なんでもいいんですよね、台詞って。たとえば、八っつぁんとご隠居さんがいて、八っつぁんが遊びに行くとご隠居さんが「あがんなよ」と言う。「こんにちはぁ」「ああ、八っつぁんかい。まま、おあがんなさい」「どうもご無沙汰してまして」っていうのが最初に教わった台詞。これが何年もやっていると、「ああ、八っつぁん、あがんなよ」「いいんですか」「ほんとに遠慮することないよ」「ほんとに?いいの?」みたいな、そういう言い方になる。仲がいいっていうのが腹に入っていれば。
竹内:ああ、二人の関係についてですね。
一之輔:ご隠居さんは、八っつぁんのこと嫌いじゃなくて、暇だから、話ししたい。で、八っつぁんは、ご隠居さんのこと、尊敬っていうより年上の友だちみたい。でも、ご隠居さんは物知りだからなんか聞きたいなっていう。その関係が噺家の腹の中に入っていれば、台詞、なんでもいいんですよね。
竹内:一般的な言葉として「腹に落ちる」っていうのがありますけど、「腹に入る」っていうのは、落語ならではの言葉ですか。
一之輔:そうですね。「腹に落ちる」というのは納得することですけど、「腹に入る」というのは、演目が腹にしみ込んでいるっていう。
竹内:それは独特ですね。広告会社ではよく「自分ごと化」と言いますけれど、それに勝る深いものを感じます。
一之輔:落語は伝統芸能って言われますけど、たぶん座布団に座って着物着て喋っているっていう、それくらいの伝統だと思いますね。僕の場合はほぼ古典しかやらないですけど、喋ってる口調なんか、今の人と変わらないですし。新作落語で現代をテーマにつくる人もいるしね。だから落語って、日本の伝統芸能の中でも、とっつきやすいものだったんじゃないかと思いますね。歌舞伎、能や狂言に比べればはるかにわかりやすい。
竹内:師匠の落語は、古典なんですけれど、現代の感覚で非常におもしろいというのがすごい。伝統芸能といわれる世界で古典落語をやられている中、これは守りたいといったものは師匠の中におありになりますか。
一之輔:守るっていうよりは、これよりはみ出しちゃいけないなっていうのはありますね、
自分の中で。「入れごと」と言って、ご隠居さんと八っつぁんの会話の中にギャグとか時事ネタみたいなものを入れたりとかね。落語のスタイルというか、そこからはみ出すようなことはしたくないなと。他の人から見たら十分はみ出しているんだろうと思うんですけど、何か自分の中では線引きがある。ちょっと言葉にしづらいですけど。これは違うな、ここまでならいいな、とか。
竹内:そのあたり、落語家さんによって確かに線引きがありますね。
一之輔:すごく漠然としているんですけど、「落語らしさ」っていうのかな、コントじゃない、漫才でもない、落語なんですよね。登場人物がいろんなことを喋り合ったりするっていう、ちょっとその枠組みだけははみ出さない方がいい。難しいですねぇ、そこらへん。
でもね、自分の中でそういうものができていれば、いろんな人がいていいと思いますよ。今一番、落語の歴史の中で多様なんじゃないですか。噺家もいっぱいいますから。ここまでならとか、これ以上超えたらっていうのは、それぞれにラインがあると思うんです。わかんないんだよなぁ。自分でも。
竹内:日本的なものでいうと、俳句などもそうですよね。ある制限の中でどれだけ豊かに表現するかという。落語は、着物を着て座布団に座るというところが、制限なのかもしれませんね。
竹内:師匠は新しい試みもたくさんなさっていて、ヨーロッパ公演もされていますよね。異文化圏での落語に対する反応はどのようなものだったんでしょう。初めて落語に触れる方ばかりだったわけですよね。
一之輔:はい。ほとんど初めてですね。日本語知らない人ばっかりです。自分で言うのも何ですが、ほんとにすげえみたいな反応でした。
竹内:ヨーロッパ公演では、事前に団子ってこれだよ、囲碁ってこれだよ、長屋の壁は薄いよなど、写真のスライドでレクチャーされたそうですね。それを知って思い出したのは、平田オリザさんという劇作家の方が、舞台をつくっていくときに観客と文脈を共有してからおもしろいことをやるのが大事で、文脈を共有しないまま舞台で過剰なことをやっている状態はお客さんが引いている状態だとおっしゃっていて。ヨーロッパで噺のなかの要素を解説した後にネタ(※演芸の題名)をやられたことも、どう文脈をお客さんと共有していくかっていうこととすごくつながるなというふうに思いました。その一方で、同じ日本語の国内でも意外と思うように伝わってないなっていうこともあるわけですね?
一之輔:あります。
竹内:まさにその場の生ものみたいな芸の中で、お客さんと文脈を共有するために工夫なさっていることはあるんですか?
一之輔:たとえば、細かい昔のアイテムとかは、わかるように伝えてます。「へっつい」とか。かまどのことをへっついって言うんですけど、へっついと言っても、今の人はぜったいわからない。と言っても、あんまり事前に説明するとそこだけ悪目立ちしてだれるんですよ。「へっついって知ってます? みなさん」「ここに穴が開いていてね」「こういう話しますから覚えていてくださいね」と言うと野暮じゃないですか。だからね、「このへっつい、いいな」、「いいでしょ、このかまど」、って言うとかね。そうするとわかる。ほかにも舟をつなぐことを「もやう(舫う)」って言うんですけど、「もやう」っていうとわからないじゃないですか? 古今亭志ん朝師匠なんかが「船徳」でよくやっていたのは、舟をつないであるのに舟を出そうとした船頭に乗客が「まだつないであるじゃねえかよ」ってつっこむ。そこで船頭に「もやってありました」って言いなおさせる。
竹内:さりげなく。うまいですねぇ。その情緒や雰囲気を崩さずに必要な情報をインプットしていく。
一之輔:「船徳」って、そこの情景が、すごく大事。やっぱり「もやって」って言いたいんですよね。そこが、細かい守りたいところかもしれませんね。そういうものが、噺それぞれにあって。
竹内:そのあたりの、どこまで説明するか、どこまでその言葉・世界観・雰囲気そのままでやるかっていう感覚も、きっと師匠によって違うんでしょうね。
一之輔:違いますね。ギャグとかもね。与太郎に向かって「おめえもう二十歳じゃねえか」「二十歳じゃない、はたちだって」「二十歳のことをはたちだって言うんだよ」「じゃあ三十はいたちか」っていう、そういう昔から続いているギャグがある。全然おもしろくないでしょ?
竹内:はははは(笑)。
一之輔:全然おもしろくないけど、自分ではこれは言っとくべき、というのがある。おもしろくないことを承知で言うんです。僕の場合は「三十はいたちか」って言わせて、「くっ、つまらないことを言うね、お前は」って言っとく。「噺の空気」なんでしょうね。
竹内:日本は空気を読みすぎてよくないって最近言われますけれど、でも「空気を伝える」とか「空気を守る」みたいなことってすごく大事なのかなという気もするんです。
一之輔:寄席の場合は、トリがいて前方(まえかた)に10組以上の演者がいるんですよ。漫才がいたり、紙切り(※話をしながら客の要望にも応じて紙を切って作品をつくる伝統芸能。またはその芸人)がいたりで、落語中心にプログラムが組まれてる。トリが一番盛り上がるのがベストなんですよ。出演者みんなで、団体競技みたいにそこへつないでいくんです。だから、自分一人が目立ったら「あいつはダメだ」って言われちゃうんです。で、前の人があんまりウケてないなと思ったら、自分がちょっと起爆剤になってここからお客さん明るくさせようとか、前がすごいウケてるところにもっとウケさせようとするとお客さん疲れちゃうから、敢えて引き気味でとか、気遣いをする。これ、空気読むですよね。まあ、事前にそういう「顔付け」になってますけどね。「顔付け」っていうのがあって、噺家、芸人をこういう順で配置しようっていう会議があるんですよ。席亭(※寄席の経営者)と寄席の事務局で番組を決める。で、たとえば一之輔がトリだったら前にベテランを持ってきたほうがバランスがいい、しんみりと噺をちゃんとする人を持ってきたほうがいい、とかね。
竹内:顔付けを見ると、俺の役割はこういうことだなとわかるわけですね。
一之輔:そうそう。だいたいわかるんです、席亭の意図とか希望とか。
竹内:なるほど、そういうことをわかってやる部分と、そのときの空気を読んでやっていく部分との相互作用なんですね。おもしろいですね。
一之輔:おもしろいですよねぇ。僕、はじめて寄席見たとき、そんなことわからなかった。なんかおもしれえな、ここはっていうぐらいで。そういう考えのもとにつくられているから、お客さんを引き付けるものがあるのかなと思いますね。中にはつまんない人も出てくるんですよ。でも、それがいい休み時間だったりする。おじいさんも出てくりゃ、若い人も出てる。違うカラーの人が一つの番組を全員でつくって、トリにつなげていく。で、お客さんを満足させて幕が閉まってみんな帰るっていうのが寄席。
竹内:ご自身は寄席と独演会、どちらのほうが好きであるとか、それぞれに面白さがあるとか、そのあたりはいかがでしょう。
一之輔:やっぱり偏んないほうがいいですね。寄席出てないと、感覚がちょっとおかしくなってきます。独演会って自分のお客さんなんで、ウケて当然なんですよ。ウケないとおかしいんです。寄席って自分を見に来てない人が多いので、ヘンな話、ウケなくても心が折れない。だから、自分の役割を全うしつつ、チャレンジもできる。毎日が稽古。寄席で勉強する。寄席って全然儲からないんですけど、出たいんですよ。
竹内:なるほど。そういった、誰か一人が目立つのではない、お客さんも含めて場をつくっていく感覚、日本的発想のヒントになる気がします。
竹内:師匠にとって、落語の魅力とはどのようなものなんでしょう。
一之輔:やる方としては、ウケたときは全部自分の手柄っていう、その快感は他には代えがたいですよね。わかりますから、お客さんの満足感とか。その一方で、ダメなときは全部自分のせい。だから、そのへんが潔いんですね。あとは、古典落語の登場人達の、べたべた慣れあってはいない、かといって冷たくはない、そういう昔の人達の生きる上での人との付き合い方も好きですね。古典落語の人達の中には、人を排除したり、あいつはダメだから付き合うのよそうよっていう、そういう考え方は基本的にないんです。
竹内:確かに。
一之輔:たとえば馬鹿の与太郎とか。まわりの人は、あいつは馬鹿だから連れてかないとか口きかないとか、そういうことは絶対言わない。それはいい人ぶっているわけじゃなくて、馬鹿でしょうがない仲間っていう、そういう感覚。そこは落語が受け入れられて広がっていく余地かなと。
竹内:実は、ブランドと落語に何か共通点はあるのかみたいな話を仲間としていたとき、好きなブランドがあるから頑張ろうとか気持ちがよくなるとか、ブランドにはそういうところがあると言った人がいるんです。これがあるから頑張ろう、これがあるから気持ちが楽になるという気にさせてくれる力、落語は大きいような気がします。先ほどの与太郎がいる余地じゃないですけれど、落語を聞くとちょっと気持ちが楽になるというか、前向きになれるみたいなところが、なんとも言えない落語の魅力だと思います。なぜそうなれるのでしょうね。
一之輔:なぜでしょうね。ただ、笑うとすっきりしますよね。楽しくなりますよね。寄席っていう場では、どれくらい早く仲間になるか、そういうことだと思います。笑うことが一番早く打ち解ける方法ですから。
竹内:コミュニケーションの本質やブランドに関わるヒントが落語の中にあると思っていたのですが、今日はそれをたくさんいただきました。ありがとうございました。
<終>
1978年千葉県野田市生まれ。日本大学芸術学部卒業後、2001年5月春風亭一朝に入門。2001年7月、前座となる。前座名「朝佐久」。2004年11月二ツ目昇進、「一之輔」と改名。2012年3月、真打昇進。新聞・雑誌のコラム執筆等、メディア出演も多い。受賞歴も多数。
http://www.ichinosuke-en.com/
2001年(株)博報堂入社。ストラテジックプラニング局にて、外食、飲料、流通等のマーケティング企画業務に従事。2004年より現職。「五感ブランディング」および「日本流ブランディング」手法の開発と実践をはじめ、論理と感覚、言語と非言語の「境界」からの新しいブランディングアプローチを推進している。著書に『ブランドらしさのつくり方』(ダイヤモンド社、共著)など。