3回目に登場するのは、東北博報堂MD戦略局プロデューサーの佐藤雄一。自身も東北出身で、2011年の東日本大震災の経験を通し広告会社の役割について再認識したという佐藤。これまでどのような仕事を手掛けてきたのか、これから挑戦したいことなどについて聞きました。
2003年に当時の仙台博報堂(現・東北博報堂)に入社しました。当初の所属は営業でしたが、2012年に東北地区の博報堂グループが統合し東北博報堂となったのをきっかけに、現在に続くプロデューサー業務に関わるようになりました。僕自身、一生活者として2011年の東日本大震災を体験し、その後東北博報堂の社員として数々の復興支援業務にも携わっています。ただ、東北には他にも少子高齢化、過疎…等、いわゆる地域課題が山積しています。東北の未来は、決して楽観視できるものではありません。
しかし、そんな逆境にあるからこそ、困難の中にチャンスを見出す“やわらかい視点”と広告という常識にとらわれない“ひろい視野”で、日本や世界があっと驚く東北の未来を発明することが、私たち東北博報堂のミッションです。
東北のことをよくわかっている地域会社として、僕らはしっかりと地域に選ばれる広告会社にならなくてはいけませんし、さらに東北全体を動かしていくような仕事も意識しなければいけません。このような活動が東北の可能性を拡げ、日本の未来につながると感じています。
未来に挑む私たち東北博報堂のあたらしいアクションをご紹介する特設サイトを現在制作中です。現状は事例紹介に留まっておりますが、今後は、東北の風土や人、観光資源などを広告会社の視点でどんどんご紹介して行く予定です。
TOHOKU MiRAi SCOPE http://tohoku-mirai-scope.com/
今現在も担当していて、自分にとっても非常に大きな意味を持つ仕事に、実業団女子駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝競走大会)があります。1983年来ずっと岐阜で開催していたのですが、2011年の第31回大会からは宮城での開催が決まっており、我々は広告会社として運営やスポンサー対応などに当たっていました。そして3月に震災が起こります。大会開催は12月。道路の被災状況などから実施を危ぶむ声もありましたが、スポンサーや官公庁、関係各社の協力で結果的に予定通りの開催が実現しました。「被災地の状況を全国の方に見ていただきたい」という強い想いもあったので、全国から集まってくれたランナーの方々が、松島から仙台までを走る様子が生中継されたときは、何とも言えない感動がありましたね。いい仕事に携わることができた、と心から思いました。そしていまや宮城の一大スポーツイベントとして、多くの地域住民の皆さんに愛されるイベントとなっています。
また、震災が契機となった仕事に、東北大学、博報堂とチームを組み開発した「みんなの防災手帳」があります。これは、東北大学で実践的防災学を研究、提唱されている今村文彦教授が、2012年、“震災の教訓を後世に伝えるために何ができるだろうか”と博報堂の方に相談されたのがきっかけで生まれたプロジェクトです。今村教授が震災後に被災者を対象に行った調査によると、災害を生き延びた人々に共通する「生きる力」の存在が明らかになったそうです。今村教授はそれを災害科学、脳科学、情報学などの見地から検証されたと同時に、その「生きる力」を実践的な防災方法として、地域に浸透させる必要性を強く感じられました。今村教授の相談を受け、コミュニケーションの専門家である広告会社として出した答えが、この防災手帳だったんです。
特徴的なのは、「震災直後」は災害から身を守る方法、「震災後10時間」はケガの応急手当や簡易トイレのつくり方など、「震災後100時間」は避難所での過ごし方や心のケアの仕方…というふうに、被災時間軸に合わせて構成されている点です。実際の震災でも、その時々で行政窓口には同じ内容の問い合わせが殺到していましたし、それも時間の経過とともに変わっていきます。被災者に必要な情報をあらかじめここに記しておくことで、行政の混乱も避けられるし、復興にも役立つと考えました。ほかにも、実際に被災した方々にヒアリングした生の声を収録したり、行動指針を「暑さ・寒さをしのごう」など読み手に呼びかける言葉で統一するなど、さまざまな工夫が盛り込まれています。僕自身、宮城県多賀城市出身で現在も市内に在住しています。自分が被災した経験から、当時感じた不便さ、辛さ、知りたかった情報なども、内容に活かしていただきました。偶然ですが、2014年に完成した防災手帳を最初に全世帯に配布させていただいたのも、東北大学と災害協定を最初に結んでいた多賀城市でした。次に宮崎県高鍋町、やがて東北全域、そして全国へと、おかげさまで配布地域は次々と広がっています。
消費者庁の先駆的プログラムモデル事業の補助金を活用し、石巻市と博報堂、博報堂アイ・スタジオとともに開発した「泳ぎ寿司」も印象深い仕事です。プロジェクションマッピングを活用した食育体験イベントで、職人が握ってくれた寿司を手に取ると、寿司下駄の重量センサーが反応してアニメーションの魚が現れ、スクリーン上で生まれ育った海の環境、収穫から集荷までの過程などのライフストーリーを紹介してくれるというものです。石巻はもともと非常に漁業がさかんな町でしたが、震災後の風評被害などによって漁獲量が震災前の7割に落ち込んでいました。そこで、石巻の魚の美味しさを味わえて、かつ最新テクノロジーを活かしたエンターテインメントに落とし込めば、石巻の海産物について楽しみながら知ってもらえる体験がつくれるのではないかと考えました。この「泳ぎ寿司」はその後東京と大坂でも開催し、好評をいただきました。風評被害の払しょくにも貢献でき、2016年度のグッドデザイン賞も受賞することができました。
また、日本財団の「海と日本プロジェクト」のプログラムの一環で「トトタベローネ石巻」も実施しました。地元石巻に富山県氷見市の子どもを招待し、「泳ぎ寿司」や地元小学生との交流などを行いました。「漁業文化の継承」「食育体験」の取り組みが日本財団からも高い評価をいただきました。
ほかにも、2015年のミラノ万博では、宮城県、岩手県、石巻市、東北経済連合会という4つの団体が一緒になり日本館でPRイベントを行ったのですが、その取りまとめを行いましたし、仙台を拠点とする楽天イーグルスの新しいプロモーション事業「BLACK EAGLES DAY」を実施したりと、東北という地域をベースに国内外のさまざまな仕事に関わっています。
これは、東北出身である僕自身が実感するところなのですが、東北の方は他地域の方に比べてどちらかというとまじめで、控えめ。言い方は難しいですが、PRが決して得意な地域ではないと思うんです。だからこそ僕らには、博報堂のソリューションやコンテンツ、クリエイティブ力を、その地域に上手にマッチングさせていく役割があると思っています。震災以降、たくさんの支援もいただきました。それをどうやってこの東北で活用し、復興に役立てていけるかというのは常々考えていることです。そのためには、僕らはしっかりと地域に選ばれる広告会社にならなくてはいけませんし、僕らが活動することで、地域の価値が少しずつでも上がっていけば、うれしく思います。
2003年、仙台博報堂(現・東北博報堂)入社。営業職にて東北地域の民間企業のブランディングやイベントプロモーションに携わった後、現在のMD戦略局にてプロデューサー業に従事。東日本大震災以降は、民間企業の復興支援業務に加え、官公庁、地方自治体の復興・防災関連業務や、行幸啓イベントなど大型催事のプロデュースも多数手掛ける。
■チイキノベーション! バックナンバー
VOL.2 中国四国を舞台にクリエイティブな地域ネットワークを構築(中国四国博報堂 我那覇健一)
VOL.1 広告会社だからできる。未来のための地域づくり(地域創生ビジネス推進室 山口綱士)