第7回目に登場するのは、中国四国博報堂愛媛支社の櫛部一雄と博報堂アクティベーション企画局コンテンツアクティベーション部の山下納帆美。両社の連携があったからこそ可能だったこと、広告会社として地域の課題に向き合う意味などについて聞きました。
櫛部
僕はもともと地元愛媛の広告会社に10年ほど勤めていて、2005年に中国四国博報堂愛媛支社に入社しました。以来、みかんなどの県産品を首都圏にPRする事業や、四国一周のサイクリング事業など、事業系のプロジェクトを担当することが多いですね。
山下
私は2006年入社で、初任から11年にわたり一貫してプロモーションに携わってきました。もともと広告をつくりたいというよりは、誰かの顔が見える仕事、人を動かす、行動を喚起するようなプランニングをやりたいと思っていたのですが、数年前に観光庁の「ビジット・ジャパン」キャンペーンに関わったことなどもきっかけとなり、地域の商品開発や、いかに地域の魅力を発信するかといったことに特に関心を持っていました。
櫛部
その山下さんに、最初に商品開発のご相談をしたのが2年前のことでした。
というのも、ここ愛媛県松前町では長らく海産物、珍味系を特産品としてPRしてきましたが、それはもうやり尽くしているから、江戸時代からこの地で作られ続けている「はだか麦」を新たにPRしようということになったんです。予算的にもかなりの大事業として始まることになったものの、具体的にはだか麦という農産物をどう加工し、どんな商品にしていくべきか、あるいは生産者の方たちをどう動かしていけばいいのかなど、検討すべきことが多々あった。そんなときに、山下さんをご紹介いただいたんです。
ほぼダメもとで電話してみたら、意外にも気さくな感じで、すんなり引き受けていただけた(笑)。
山下
やりますやります、という感じでした(笑)。とはいえ最初に話をうかがったときは、一体自分に何ができるのか具体的なイメージはなかったんです。正直、素材や材料からPRを考えるのは初めての体験でしたから。でもせっかくチャンスをもらったんだから細かいことはやりながら考えればいいと思ったし、何より櫛部さんがとても丁寧に説明してくださって、その真摯な姿勢に安心感をおぼえたというか。櫛部さんだったら一緒にできそうだなと思い、あまり気負わずにやってみようと思えました。そこから、プロジェクトチームを結成し「はだか麦」の商品化をプロデュースすることになりました。具体的には、プロジェクト全体のロードマップ作成、ワークショップ設計、商品のコンセプト開発や関西クリエイティブ・ソリューション局のアートディレクター中山沙織さんとともにクリエイティブディレクションまで担当。地域や東京での販売イベントやキャンペーンメニュー化の実施など全てに並走して携わることとなりました。
我々広告会社は、そのモノ自体が口の端に上っていくようなモノガタリをつくることができるし、それを商品のネーミングにも、デザインにも反映させ、売り場をつくることもできる。そういうノウハウを生かして、地元の方の持っているモノのシーズを見つけ、世の中の人が欲しがるようなモノガタリに変えていくことが、広告会社が商品開発に携わる意義でもあるし、私自身の役割であると考えているんですね。
櫛部
やはり我々地域と東京の博報堂のスタッフの皆さんとは、当然いい意味でも悪い意味でも誤差があるものですから、かみ合わないこともあって当然だと思っていました。でも山下さんは、こちらからインプットした情報を一旦すべて受け入れて、「それはいいですね」「じゃあこうしていきましょう」という風にどんどん組み上げていってくれた。それは本当にありがたかったですね。
山下
松前町にはもともと海産物の珍味も特産品だったので、ある意味大人のおやつの文化があったんですよね。で、大人のおやつがあるなら、大人も子供も楽しめる健康おやつがあってもいいんじゃないかと。そのおやつに食物繊維たっぷりの「はだか麦」を使うことは理にかなっているし、東京の目線で見ても、グラノーラクッキーみたいな“体にいいおやつ”にマスのニーズがあることは明らかなわけです。
櫛部
松前町としては、伝統として「はだか麦」を作り続けてきた歴史があります。だから、いざそれを商品化し、これからもずっと作り続けて、売り続けられるものにするためには、やっぱり地元の人が誇りに思えるようなストーリーがなければいけなかったんです。そういう話を山下さんとするなかで、“機能的でヘルシーなおやつ”というアイデアが固まっていきました。「皆さん珍味として海のおやつをすでにつくっているので、次は山のおやつですね」という話もできた。
山下
やっぱり地域の文脈を知っている方でないと、そういう発想はできませんよね。
櫛部
そして商品化できたのが1年前。その間、実際にマスに売るというところまで持っていくために、試作のワークショップを開いたり、試作品を外部で販売してみるということを何度か繰り返しました。観光客が多く訪れる道後で売ってみたり、東京の「太陽のマルシェ」という食のイベントで販売したり。結果的に現在3種類の味、パッケージに落ち着きました。
それから今年(2017年)に入っての第2フェーズとして、町民の皆さんにご協力いただき、はだか麦の商品を食べ続けることでどんな健康効果が出るかを調べる実験をしていただいています。また、同時進行で地元のケーキ屋さんや菓子メーカーといった企業に、はだか麦を使った商品開発の取り組みを始めていただいています。
山下
実は珍味組合に所属しているさまざまな加工品メーカーさんにもプロジェクトに参加してもらっていて、「はだか麦いりこ」など、強みを生かした試作品を発案してくださった。彼らは彼らで、今回のプロジェクトの知見を活かしながら、自分たちの商品づくりも進めているんです。そうやって、地元の人たちも巻き込んでどんどん広がっていくというのは、当初から狙っていたことではありました。
もともと海のおやつをつくる土台はあったわけですよね。漁師さんがいて、加工メーカーがいて、それを販売する場所があって……。そこに今回、“山のおやつ”が新たに加わることで、バージョンアップさせるという形がとれた。ですからそれほど違和感なく、皆さん取り組んでくれているのかなと思います。そういう意味で、これから自走していく土台はしっかりある。
櫛部
そうなんです。でもこれまでは本当に「はだか麦」という原料だけを生産するという感じで、出荷すると松前町の名前も残っていないし、地元の人が町の中で口にする機会もなかった。でも今回、当時の松前町商工会会長の三好さんがJAさんとの交渉に尽力してくださって、松前町産のはだか麦として他町とは分けて精麦していただけるようになりました。今回のプロジェクトを通して「松前町産はだか麦」というブランドがつくれるような体制、仕組みづくりはできたのかなと思います。
松前町は6月になると黄金の麦畑になるんです。ほんとに綺麗なんですよ。住んでいる人は皆それを知っている。その価値はすごく高くなっていると思います。自分たちの原風景である黄金の麦畑でとれたはだか麦が食べられる――そういう風に、何より地元の人にとっても身近な存在になってくれると一番いいですよね。
櫛部
地域会社としては、つねに「全員が地域プロデューサーになる」ということを念頭に置いています。それは、一つの得意先に対しての課題にしっかり取り組みさえすればいいというわけではなくて、つねにそこで得た知見、つながりをさらに横につないでいく、もう少し輪を広げていく、という考え方ができないといけないんです。そうやってどんどんできることやネットワークを広げていくことが求められているのだと思います。
山下
私自身は東京育ちで、もともと地域に魅力を感じていました。だから地域に行き、知らなかったことを知ることができると、純粋に一生活者として感動するんです。その町のことをもっと教えてほしいという真摯な気持ち、一生活者としてのその土地への好奇心、興味を持ちつつ、相手との信頼関係を築いていくことがまずは肝心かなと思っています。おそらく地域の方々も、本当はどうにかしたいとは思いつつも、どうしていいのかわからないということがあると思う。そこで「これはすごい。東京にはないですよ!」という発見を伝えれば、「そうなの?じゃあこっちも見てみる?」となる。
イベントのときも、実際に自分が売ってみてから、「こうすれば売りやすいですよ」と言ってみたり。自分が先に動いて、「私が一緒にやるから大丈夫ですよ」という風に安心してもらうことにはこだわりました。広告会社としても、一緒に考えて、汗もかくし、やれることは全部やりますという姿勢を見せることは本当に大事だなと感じています。
櫛部
そうですね。試作のアイデアが出たあと、いくつかのメーカーさんに直接掛け合ってお願いしていた姿を見て、ある方が協力してくれるようになり、またそれを見て別の方も協力してくれるという風に進んでいった。実際、課題はまだ山積みではあるのですが、やはり僕らは地域会社として、この地にいて、プロジェクトの行く末を最後まで見ていく役割がある。地元の方々との信頼関係はなくてはならないものです。
その点今回は本当に、東京と地域会社、そして地域が気持ちの上でもがっちり連携できた好例だと思います。山下さんが地元の情報や人たちの気持ちをきちんとよみとって、そこからより大きな視点でプロジェクトを進めてくれたことが大きかった。何より僕ら広告会社は、コミュニケーション会社でもある。広告コミュニ―ケーションに限らず、共同体と一緒になって、同じ方向に全員が向いていけるように後押しするツールとして、デザインや言葉の力、ブランドといったコミュニケーションを使うことができるわけです。自分たちのそんな役割を再認識することもできました。
山下
確かにそうです。そしてさらにこれからは、この取り組みをシステムとして継続させていかなくてはいけない。そのために、たとえば東京で販売するとなれば、バイヤーさんを紹介したり、そのうえでどう伝えたほうが効果的かといったことを地域にもフィードバックしていく。地域に行って東京のノウハウを伝えるでもいいし、東京で地域のモノを発信するでもいい。そんな「東京と地域をつなぐ」役目に、今後もこだわっていけたらと思っています。
特に日本は「課題先進国」と言われていて、中でも地方はその最前線としてさまざまな課題が山積しています。博報堂としても、そういった課題に取り組んでいくことで、広告コミュニケーションを超えたビジネス、新しいイノベーションにつなげることができると思いますし、私個人としても、これからますます自分にできることと地域会社の得意なことを掛け合わせ、新しい事業領域を開拓し、これまで以上の成果を生み出していければと考えています。
2005年、四国博報堂(現:中国四国博報堂)入社。営業職にて、IT・アパレルメーカーをはじめとする香川・岡山エリアの民間企業のプロモーションやブランディングに携わった後、2009年に生まれ故郷である愛媛支社に転勤。首都圏PR、移住定住、御当地ファッション、四国一周サイクリング、日本遺産(村上海賊)、など地域テーマに関わる多数の事業のプロデュースを手掛ける。
2006年、博報堂入社。入社時より飲料、日用品、車メーカー、商業施設やアパレルブランドなどの統合コミュニケーションにおける、プロモーションやPR企画制作を担当。
近年ではプロモーションの知見をいかした観光庁の訪日キャンペーンや、新潟、愛媛、青森など日本各地のいいもの、技術をいかした新たな商品開発など"人を動かす"ものづくりやコンテンツ開発を多く手がけている。
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