今回の特別対談企画では、1989年 LUNA SEAギタリストとしてのデビューから音楽シーンの最前線で幅広く活躍されていらっしゃるミュージシャン INORAN(イノラン)さんをゲストにお迎えしました。「モノ」から「コト」、そして「トキ」へと移ってきた生活者の志向や変化の背景などについて、「トキ」を提唱する博報堂生活総合研究所の夏山明美研究員と語っていただきました。前編は「トキ」の根幹にある、生活者の心に目を向けます。
(後編はこちら)
夏山:本日はお忙しい中、お時間を作っていただき、ありがとうございます。私は博報堂生活総合研究所の研究員である一方、実はINORANさんの大ファンなんです。ファンとして、INORANさんのライブやインタビューなどのご活躍に触れる中で、私たちが提唱する「トキ」と重なる部分が多いと感じ、この対談へのご協力をお願いしました。
INORANさん(以下敬称略):はい、今日はよろしくお願いします。早速ですが、今日のテーマになっている「トキ」って、どういう意味で使ってるんですか?
夏山:私たちの研究所では、「同じ志向を持っている人と、その時・その場でしか味わえない盛り上がりを楽しむために行動したり、お金を使ったりすること」と定義づけています。
この「トキ」は「好きの未来」という研究で人々の「好き」という感情の変化を分析する中で生まれた考え方なんです。1970〜80年代は新しいものや珍しいものを持つなど「モノを所有すること」が大きな喜びでしたが、その後、ひととおりモノが揃って、満たされてしまった。そうすると、次に1990年代頃から、人々の興味は新しいことや珍しいことをするなど「コトを体験すること」に移りました。旅行やテーマパークへ行ったりするようなことです。
ここまでは、よく言う「モノからコトへ」です。でも、私たちは、コトだけでは説明しきれない現象が出てきたと感じていて、今は「その時・その場」に限られた、いい意味でコトよりも再現性が低い「トキ」にみんなの興味が集まってきている…とみているんです。ミュージシャンとお客さんの盛り上がりがシンクロするフェスやライブはもちろん、みんなで仮装して参加するハロウィンなんかもそうですね。
INORANさんのライブやインタビューなどを拝見するに「今、この瞬間」を大事にしてライブに臨んでいるようにお見受けします。ファンクラブ会報のインタビュー記事の中でも「その日、その場所にしか存在しないライブを、各地のオーディエンスと共有したい」と書かれていましたが、そうお考えになる何かきっかけのようなものはあったのでしょうか?
INORAN:そうですね。シンプルに言うならば、「生かされているとは、生きているとは、どういうことか?」と強く考えるようになったから…ですかね。
夏山:そう意識し始めたのは、いつ頃からですか?
INORAN:幾度となく…生きている中で感じることはあります。生きていると、幸せな出来事がある一方、親族や友達が突然に亡くなるといった、つらい出来事にも遭遇する。歳を重ねるごとに「死」や「死生観」を些細なことで意識するようにもなった。そういう月日を重ねてきた中でも、大きなきっかけになったのは東日本大震災でしょうね。
自分にできることを模索しながら、ライブや音楽を通じて思いを伝えてきた今でも、7年前の結論はまだ出ていない。それは、人間としても、いちミュージシャンとしても。
やっぱり、あそこでみんなの思考が止まったし、同時にみんなすごくいろんなことを考えたと思うんです。生かされたものとして、身近なことでもいいから、世界をちょっとでもよくしていこうと思うとか…。そういう中で、自分が考えた「生かされていること、生きていること」のひとつが、ミュージシャンとして、モノや思い出でもつなぎとめられない、一日一日のその「トキ」を生きる時間を大切にしなきゃいけない…ということだったんですよ。
夏山:私たちの研究所が提唱する「トキ」について、INORANさんが何かお感じになったこととかありますか。
INORAN:モノも、コトも、トキも、言うなれば、「共有、共有、共有」ってことですよね。とにかく共有すること。言い換えると、共有は「ひとつになる」とか、「一緒になる」とかって意味ですよね。もっと言うなら、それは「みんな一緒になる」ってことになるんですけど、でも……。
夏山:まさに共有やシェアは、ここ数年のトレンドでもありますが…。何か気になりますでしょうか?
INORAN:いや、共有することっていうのが、どんどんセーフティな選択肢として捉えられてもいるな、と…。日本では、SNSにしても、フェスにしても「みんなと一緒だから安全だ」というふうに受け止められているようにも思うんですよ。特に、海外のフェスとは自由度が全然違いますね。オーディエンスが、それぞれに「好きなことをやる」という楽しみありきでないってところが。
夏山:その自由度とはどんなことでしょうか。日本と海外の違いは何なんでしょうか?
INORAN:声の大きさだったり、身体を使って自分の喜びを表現したり…といった行動に感じますね。でも、それは調和や礼儀正しさを尊ぶ国民性のせいもあると思うんです。それが日本人の良い部分でもあるので、自由度が少ない場が決して悪いというわけではないんですけどね。
僕がアジアやヨーロッパのステージで得た経験から感じたことは、オーディエンスそれぞれにとって、ライブでの音楽の捉え方が違うことです。音楽を「聴く」のではなくて「感じる」かのようなんです。アナログレコードをかけるのを「プレイする」って言うように、だから、僕も海外でのライブでは、オーディエンスのみんなに「一緒にプレイする」とか、「君もプレイしているんだよ!」って声掛けしますね。
INORAN:それと、日本と海外の違いを感じた上で、僕がライブを含めて多少なりとも心がけていることがあるとするなら…「安全な、いいお兄さん」にはなりたくないってことかな(笑)。
夏山:えっ、「安全な、いいお兄さん」ってどういうことでしょうか?
INORAN:安全じゃないから危険ってわけじゃないけど、ワクワクしたり、ドキドキする存在であり続けたいってことかな。みんなが思う先へどんどん行ったり、自分をセーブしないようにしたり、イメージを固定させないようにしたり・・・。そして、今、みんなもワクワクやドキドキ、トキメキのある「トキ」に向かっているのは、いいことだと思います。
だけど、最も大事なことが眠っている気もしていて…。「トキ」へ向かう一方で、夢や願いといったものを追いかけられているのかな…とも思うんです。みんなの気持ちはモノやコトで満ち足りてきたというのではなく、本当は満ちてなかったんじゃないか…。むしろ、置き去りになっている思いもあるのかもしれない。だから、逆にみようとしている夢や願いへの思いが、だんだん浮かび上がってきたというか。
夏山:「トキ」には、そういった夢や願いをみんなが求めたり、表明したくなってきているという側面もありそうですね。
INORAN:そうそう。もっと自由に自分の夢や願いに向かうとか、好きなことをやればいいと思う。「自由に毎日を生きようよ」っていうメッセージを送りたいですね。
夏山:いま、INORANさんが触れてくださった「トキ」が目立ち始めた2010年以降は、ちょうどスマホやSNSが普及していった時期と重なります。ひとりひとりがスマホを持ち、いつでもSNSで体験した「コト」を伝え合うことができるので、他の人の実体験を自分でも疑似体験できます。でも、疑似体験は、結局は視覚と聴覚だけのひとりの楽しみにすぎないですよね。例えば、電車で私の隣に座った人がイヤホンでINORANさんの曲を聴いているとします。でも、私はその人がINORANさんの曲を聴いているかどうかはわからない。わかれば、「私もファンなんです!」と一緒に盛り上がれるのに…(笑)。
ここからは私の仮説ですが、今は、視覚と聴覚だけで完結する、ひとりひとりの楽しさは溢れているけど、リアルな体温を感じるような、つながりが減っているように思います。だから、その反動で誰かと一緒に好きな物事を共有したいとか、身体を使った実体験をしたいという欲求が強まっていて、その結果、「トキ」に人々が向かっているのでは…と思うんです。
INORAN:今、例にあった電車の中の行動で、昔と違うな…と感じることだけど、僕らの世代からすれば、電車で隣に誰かが座っていたら「スマホをのぞかれる」って思うわけです。でも、今はみんな平気で自分の世界に入って、メッセージもバンバン打っている。それって見られてもいいというわけだから、逆に度胸あるなって思うんだよね。つまり、「僕らの時代の根性感」と「今の時代の根性感」が違う。その点では、昔よりは動物のような強さが表に出ているし、僕らにはない、その度胸を正しくどこかへ向かわせることができるといいんでしょうね。
ただ、それが今はSNSで特定の個人を攻撃するといった、マイナスな部分にも表れてきているんじゃないかとも思います。それだと生きづらいから、変えたいところですけど…。
夏山:ひとりの世界に没頭するようになったから、他の人とのつながりを求めたり、逆に他の人との距離を置こうとする…。両方の揺れ動きが「トキ」をより深く理解することにもつながりそうに思えてきました。また、先ほどINORANさんがおっしゃった「みんなが安全へ向かっているのかもしれない」というご指摘に戻ると、共有によって安全を感じていた人々が、どこかで安全にはまっている自分を面白くないと感じているのかもしれないですね。
INORAN:あぁ、そうかもしれません。安全なだけに、危険なものも見てみたいのかも? 最近はテレビ番組でも、いろんな方面への配慮が必要だからか、いわゆる「危険な映像」にもリアリティがなくなっていますよね。そうなると、目の前に「火」があったとしても、実際に触れてしまって火傷をすることもないし、それによって火の良さや暖かさを知ることもない。
今の世の中ってそうなのかもしれないし、だからといって「火を触れ」と言いたいわけでもないけれど。リアリティがなくなってきている分、どこか違うところで刺激や感触を欲しがっているんだろうなって思います。
夏山:人々がフェスやライブに足を運ぶのも、ある種の「火」になるような刺激を期待しているのかもしれませんね。ステージに立ち続けてきたINORANさんからみて、服装や言葉など何でもかまいませんが、ライブにいらっしゃるファンの方の変化を感じる部分はありますか?
INORAN:全員というわけではないでしょうが、さっき話にも出た視覚と聴覚以外のことを求めに来ているのかもしれません。例えば、振動であるとか、皮膚から感じる温度であるとか。それは視覚と聴覚で感じる時代が長すぎたからなのかなと思うんです。
夏山:確かにライブ会場には、心地よい振動や熱気がありますよね。それが通常とは異なる刺激になっている感じがします。特に、音楽やスポーツの現場で最も感じます。
INORAN:僕はスポーツ観戦も好きですけど、「生」で見るほうが数倍いいですよね。涙腺が弱くなるというか(笑)。もしかしたら、自分にはあわないって人もいるかもしれないけど、生の体験を一度はみんなにしてほしいです。僕も音楽を通して生の現場に「おいでよ!」と、メッセージし続けられる存在でありたいと思いますね。
それに、熱を外に求めるだけじゃなくて、「夢を持つ」とか「ワクワクする」とか、熱を自分から発していくのもいい。何かにワクワクすることは大事。時代によって対象や内容は違ってくるかもしれないけど…。「今、興奮しているな」とか「逆に冷めちゃっているな」という感覚に敏感でいて、子供みたいにワクワクできることを常に忘れないようにしたいですよね。
夏山:ワクワク感って、「変化があること」でもあると思うのですが、私たちが調べてみると、日本の先行きも景気もこのまま変わらないと感じる人の割合が年々増えていってます。気持ちが熱くもならないし、寒くもならない、社会全体が常温になっていて。私たちは「常温社会」と呼んでいますが、それを打破するためにも、そういったワクワク感が大事なのではと思います。社会全体に変化がないのなら、せめて身の回りの暮らしには人が意識さえすれば、ワクワクをつくっていけるかもしれないと、INORANさんのお話をうかがって感じました。
※後編へ続く
1989年 LUNA SEAギタリストとしてのデビューから音楽シーンの最前線で、国内外を問わず活躍中。1997年にソロ活動も開始し、最新アルバムは昨年発売の『INTENSE/MELLOW』。エンドーストメント契約を締結するギターブランドFender社から日本人初のシグネイチャー・ジャズマスターを発表したり、世界的に有名なプレミアム・テキーラ・ブランドとのコラボレーションを発表するなど、幅広く精力的な活動を続けている。
博報堂生活総合研究所 主席研究員
1984年博報堂入社後、主にマーケティング部門でお得意先企業の各種戦略立案や調査業務を担当。2007年より現職。現在は、独自調査の企画管理、生活潮流の研究のほか、グループマネージャーとして全研究のプロデュースも行う。