博報堂人が、社会テーマや旬のトピックスを題材に、生活者の暮らしの変化を語る対談企画「キザシ」。
ますます多様化する現代人の食生活。第八回目は、秋葉原駅クリニックの大和田 潔(おおわだ・きよし)院長と博報堂/流通経済研究所の南部 哲宏(なんぶ・てつひろ)が、「食と健康」をテーマに生活者が健康に生きていくための「食と医療」のキザシについて語る後編です。
大和田:でも、キザシは確実にあるよね。以前は、短い食事時間でエネルギーを補給して、能率上げてがむしゃらに働いてきたんだけれど、はたと気がつけばいま、生活習慣病のリスクを抱えた体がある。それに対して、多くの薬を飲んで検査数値をなんとか正常化させようとしてきた。でも、そういったマッチポンプの虚しい作業から一歩進んで、僕らと同じ考え方をする生活者が増えてきたと思う。これまで僕は多くの取材を受けてきたんだけれども、明らかにライターさんの質問内容も高度になってきて、基礎医学に近いものになっている。
僕は、運動を支える食事という観点から、運動のことをいっぱい記した糖質制限の本を自由に書かせてもらった。続編ともいえる、患者さんが食材の糖質量を概算できて自分にあった糖質量を計算できる糖質データブックも出ます。こういう本の需要があることも現在の一つの傾向なんじゃないかと思う。日本人の食事に対するインテリジェンスが、ものすごく上がってきている気がします。たとえば、食事前の運動が食欲ホルモンを減らしたり脳に働きかけて食欲を落とすからランニングに行こうとか、運動が脳を活性化させたり褐色脂肪細胞を増やすとか、糖質を制限してインスリン分泌を減らして脂肪沈着を抑えようとか、タンパク質を摂らないとロコモティブ症候群になりやすいとか、歩かないと骨がもろくなるとか、そういう人間の代謝生理学を知って、自分の健康管理に役立てようとする人々が増えている。
南部:だから、医療というか科学が進むということは、生活者の知識も上がるということだよね。その層の厚さがクオリティオブライフ(QOL)を築いていく。例えば、生産者が直接ネットで情報発信と販売を行い、新しいサプライヤーが出現して増加していくということは食総体の情報と選択肢が増加していくわけで、その層の厚さが人々の意識を変え、新しいマーケットができていくし、人の行動が変わっていく。
大和田:まさに受診する患者さんにも新しいキザシみたいなものが見えてきている。昔は「糖尿病になりました」「高血圧になりました」と来院する人が多かった。今でも多いのですが、でも「血糖値高めと言われたけれど、初期なら薬に頼らず復活できると思っています。ここは、食事指導で治療してくれるところなんですよね」とか、「通院を卒業するための具体的な方法論は何をお持ちですか?」とまで聞いてくる患者さんが増えてきている。それは要するに「そもそも薬を飲まなくてもいいような体を取り戻すほうが健康になる本筋だろう」という真実を生活者が考えるようになったんだと思う。生活者のインテリジェンスがかなりいい方向に底上げされていると思う。それに呼応して、医療も食や農業の世界も変わらなくちゃいけない。ベーシックに体を支えるものだけを摂取していけば、それが健康につながる。
それから運動だよね。人間は、解剖生理学的にも歩いたり走ったり運動するように生まれついている。立派なアキレス腱がその証左。運動すると脳が健全に保たれるし、代謝が活発になる。運動によって分泌が活発になるマイオカイン(骨格筋から分泌される生理活性物質で、血液を介して臓器および骨格筋自身に作用するホルモンの一種)や、BDNF(脳由来神経栄養因子。神経細胞の発生、成長、維持、修復に働き、学習や記憶、摂食や糖代謝などに重要な働きをする)を生み出す。心肺機能も鍛えられる。運動すると、感染症にもかかりにくい「レジリエントな体」をつくることができる。流布している情報に対して患者さんから問われたら、医師は的確にわかりやすく説明できなくちゃいけないんだよね。
大和田:医療に関しては、どういうポリシーをもって診療しているか、人の健康状態をよくするどんな多様なメソッドを持っているかということが、次に問われてくると思う。来院する方々の栄養相談をしようとお話しすると、栄養相談なんてしなくてもいいという人もいる。それはそれでいいと思う。患者さんの自由。けれども、そういうチャンネルも持っている医療機関を患者さんは選ぶようになっているという気はする。たとえば、栄養指導や薬からの離脱に積極的ではなかったり、わずかな異常値で毎月薬を処方されているだけなら、管理栄養士さんが常駐していて一緒に自分の体を考えて相談にのってくれるクリニックへ行きたいと思うのはごく普通の考え方だと思う。その患者さんの願いを実現しようとするなら、自腹切って管理栄養士さんに来ていただくという、うちみたいな形にならざるを得ない。これは、僕が日々医師と生活者(患者さん)と直に相対しつづけてきたから修正をくりかえすことができた。その構造がなければ、ニーズに応えて変わっていく作業はできなかった。農業の世界は、生産者と生活者(消費者)が分断させられている気がする。問題はそこにあるかもしれないね。
南部:大和田さんがやっていることは、要するに健康づくりそのもの。考え方が今の医療とは全く違う。「治す」という医療とは違う、よりよい人生を送るための人の体を「つくる」医療なわけです。まさにテストマーケティングみたいなことやっている。
大和田:これからの農業や医療はプッシュ型だけではダメで、プル型の形も整えるべきだと思う。僕は患者さんと相互によりよい医療を実現していくという関係性を信じている。だから、どんなところでも「何かを与えてあげよう」っていう世界はもう終わったんじゃないかな。それもキザシだと思う。
南部:別の角度から言うと、もともと目を向けるべきは多様性なんですよ。これだけ成熟して、情報がフラットな社会では、食の世界も多品種少量がいいはずなんです。医療の世界は、これから進歩することによって個々の患者に対応したテーラーメイド医療のような多様な形になっていくんじゃないかと思う。農業もちゃんと多品種少量の世界の中で、どういうマネジメントを行ったらいいのかを考える時代になりつつあると。南北に長く気象条件が千差万別の日本は各地の生育環境が違うので、もともと多品種少量なんですよ。そして、農業サイドの人達は自ら顧客の情報を取る手だてを考え実行しなければいけない。各地で人気の直売所のPOSデータも、まだ全然解析できてない状況だからね。つまり大和田さんと一緒で、意識して見ればお客さんの動向は見えてくるから、見えたものをちゃんと活かしていくということ。
大和田:農業も市場を見てつくってみるべきなんだよね。例えば、糖質制限を考える人も多いから、食物繊維が多くて糖質が少なく急激なインスリン分泌を促さない「低GIのトマト(GI=グライセミック インデックス。食後の血糖値上昇の指標)」なんていうのもありかもしれない。
南部:生活者も変わってきているから、健康を含めた食べるものの多様性を追求してもよいかもしれないね。輸入がなければ賄えない部分もあると思うし、要はそういったことを含めて、この国でつくられた多様な生産物とその質を楽しんで消費できる状態にしていったほうがいい。そのための道筋については、技術革新や経験といった蓄積の中から、もうすでに形づくられてきている。僕は、各地の農業に携わる人々と語り合ってきたけれども、日本の農業技術は世界水準から見ても高い。高価格というだけで、批判されるのは終わりにしたい。年齢によって家族構成や所得水準が変わってくるから、この暮らしの変化にも対応していったほうがいい。安い米を食べたい人やそのようなライフステージにある人もいる。高くてもおいしさを追求したい人やそのゆとりをもてる年齢の人もいる。自分の病気から、ふさわしい食材を選ぶ人もいる。生活者のあらゆる多様性に応えて行くべく、供給側もその多様性を担保しなければいけない。日本の農業者は、一朝一夕では得られないポテンシャルをもっている。それを信じること。農業者も変わっていかなくてはいけない。災害が多い日本で農業を営んで来たからこそ、強靭な精神と耐性を持っているんだから変化を恐れてはいけないよね。
大和田:チャレンジにつぐチャレンジだね。人には、リスクを伴う変化を好まないという「心理のバイアス」がある。心理バイアスを乗り越える勇気だよね。一番いいシナリオは、こうだと思う。新しいキザシに気づいた良心的なエヴァンジェリストがつまずきながらも走りはじめ、それを見て共感した個人・企業・団体など様々な人の中から色々な実験的ソリューションや試行やチャレンジが生まれる。すると、そこに市場が形成され、供給者と消費者との交流が生まれて実践され淘汰されて洗練化され、みんなの歩みが強固なものになる。元気になったエヴァンジェリストがしばらく歩いていると、さらなる新しい「キザシの地平」が見えてくる。そういった世界がいい。無限の小さなトライ&サクセスの積み重ね。振り返ってみると、みんなで随分歩いてきた、みたいな。そういったチャレンジを続ける上昇気流の渦ができることが、一番ハッピーな形じゃないかな。
南部:もう、そういう形はできつつあるね。地産地消のレストランとか。食でも医療でもないけれど、地域に良い上昇気流をつくり出そうとしている地域密着型の銀行など。それは、歩き続けるための仕組みづくりだといえるよね。
大和田:日本人には、体に染み付いた職人気質、よりよくしたいという気持ちから、より究めて「道」にまでするという気質がDNAに染み込んでいると思う。僕は、日本人は自然に上昇気流をつくるポテンシャルを持っているんじゃないかと思う。
南部:食でいうと、各地に残る郷土料理を見ても、その地で獲れるもので各地の特色ある食文化を形成してきた。その多様性の豊かさは、工夫と洗練の積み重ねによるものだよね。
大和田:何かをメディアで紹介して、欲望を刺激して次々にそれを盲目的に消費するという時代は終わったと思う。結局、生活者そのものが世の中を変えていく原動力、ジェネレーターそのものであるということを信じること。そして、それに誠意を持って呼応して、お互い変化しあって上昇していくということに尽きるんじゃないかな。僕は、そこでみんなと一緒に元気に生きていきたいと思う。
<終>
1965年、東京生まれ。福島県立医科大学卒業後、束京医科歯科大学神経内科にすすむ。東京都立広尾病院、武蔵野赤十字病院にて救急診療の後、東京医科歯科大学大学院にて基礎医学研究を修める。青山病院医長を経て、現職。
頭痛専門医、神経内科専門医、総合内科専門医、東京医科歯科人学臨床教授、米国内科学会会員、医学博士。臨床栄養協会代議員。東京医科歯科大学で医学生も教えている。
著書に『頭痛(新版)』(新水杜)、『副作用」、『知らずに飲んでいた薬の中身』(祥伝社新書)、『ごはん好きでも必ず痩せられる糖質制限』『糖質量チェックブック』、(永岡書店)等、多数。
1964年、東京生まれ。千葉大学大学院園芸学研究科修了後、1989年博報堂入社。マーケティング局、研究開発局、生活総合研究所、テーマ開発局等に所属し、入社以来第一次産業と地域政策のマーケティング業務・研究を行う。著書・講師・委員多数。2012年より公益財団法人・流通経済研究所特任研究員。
□第1回 / 暮らしとエネルギー
□第2回 / ソロ男に見る男と女の生き方
□第3回 / 生活基点で見る働き方
□第4回 / データとクリエイティブ
□第5回 / モノの未来とプロダクトデザイン
□第6回 / 変わりつつある地域活性化
□第7回 / 落語に見る日本発想
□第8回 / 生活者のための食と医療(前編)